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ニャンコ座リポート since 2005 April

 It's fine day. 今日は父の命日です。過去のブログをさかのぼったら、5年前に父の死んだ日のことを書いていました。でももう1度書いても44年前のこと (4/17)_d0017084_935312.jpg良いだろうと思います。
 44年前、1974年(昭和49年)の春、私は大学に入りたてでしたが、学生課に呼ばれてだったか、寮に電話がかかって来たのか覚えていませんが、すぐに家に帰る様言われました。折悪しく国鉄がストライキ中で(誤解してもらっては困ります。私は労働者の味方です。必要ならばストライキをしましょう)、その時労組が無かった軟弱な中央バスに乗って、札幌へ出て、苫小牧まで行って、その先はどうしようもなく、母に連絡したら、タクシーで帰って来いと言われ、そうしました。父の容体は限界だったのです。
 すぐに病室に向かいました。その時はやっていた、厚底の靴を履いていた私を見て、父が「変な靴だなぁ」と言ってほほ笑んだのを覚えています。父の言葉は、それが最後でした。苦痛を和らげるために、モルヒネを投与してもらっていたので、意識は混濁していました。家族で病室に泊まり込み、翌朝早く、父は亡くなりました。
 人一倍丈夫だった父が、胃の不調を自覚して病院に行った時は、すでに末期がんでした。都会の大病院にいてももう手の施しようもなかったので、地元の病院がよかろうと、町の国保病院に入院していました。やや重い胃潰瘍だと言うことにして。病室の窓からは、自分の勤務先の小学校の新校舎が出来て行くのが見え、そこに復帰するのを楽しみにしていました。
 その34年後、病院の建物自体は替わっていましたが、全く同じ景色を、母と同じように、いっちゃんの病室から見ることに44年前のこと (4/17)_d0017084_9365282.jpgなるとはね。
 4月はほとんど大学に行った覚えが無く、一息ついて、何かの用で学生課に行くと、職員が「もう戻って来れないんじゃないかと、心配していました。大学続けられるんですね、良かったですね」と、喜んでくれました。
 弟がまだ小さかった頃は、良く父が私を連れて、自分の兄弟の所などに遊びに行きました。伯父伯母や従兄達と歩いています。昭和36年のこと。親戚が集まっている模様なので、祖父の法事でもしたのかもしれません。私はくたびれたとわがままを言い、花を手に持って、父におぶってもらっています。きっと、とっても嬉しかったんだろうなぁと思います。息子がだんだん、父にそっくりになってきていて、この写真が数年後の息子と笑美ちゃんになるんじゃないかと、楽しみです。
# by nyankai | 2018-04-17 09:34 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(4)

 昨日は、A子さんが車に乗せてくれて、まじょ子町まで、ごちゃコンの練習に行ってきました。まじょ子町は、朝のうちは雪景色になっていたそうです。A子さんとまじょ子さんと私がタッグを組むのは、リコーダーアンサンブルHanaです。今年は、それにナナさんが入ってくれる予定です。まじょ子町は遠いです。どうしてA子さんが、行ってくれたかというと、A子さんの姪っ子が、結婚してまじょ子町に住んでいるので、会いに行ってみたかったんだって。
 白鳥のダム湖を横目に (4/16)_d0017084_9292692.jpgA子さんが、姪っ子ちゃん宅を訪問している間、まじょ子さんとピアノの連弾の練習をしました。ピアニストと3人で、6手連弾「モーツァルト交響曲40番」を弾くのです。とっても簡単アレンジなので、ピアニストならぶっつけ本番でF3A8.gifなほどですが、まじょ子さんと私は、練習が必要です。
 リコーダーは、予定通り「さんぽ」と「サウンドオブサイレンス」です。アルトリコーダーが入る3部の「ジュピター」は、候補に挙がっていたのですが、ちょっと難しそうだったのと、3人で合わせてみたことが無かったのでそのすばらしさがわかっていなかったから、選曲からもれていました。それを試しに3人でやってみると、とっても良かったのです。改めてやってみたくなりました。それで、今度の歌会の時に、他のメンバーにお願いしてみようと思います。アンコールという奥の手を使っても白鳥のダム湖を横目に (4/16)_d0017084_9352168.jpg良いし。
 ☆「ジュピター」―作曲:ホルスト ホルストの代表的管弦楽曲「惑星」の中で、もっとも有名な「木星」です。ブログを書くにあたって、著作権のことを調べてみました。著作権は50年で切れるのだそうです。ホルストは、著作権がある間は、「惑星」のアレンジを許さなかったそうです。富田勲がシンセで演奏したのは著作権が切れる前で、大変な苦労をしたようです。日本では、平原綾香ちゃんのが有名になっていますが、私は本田美奈子ちゃんの→ここ も大好きです。カラオケで歌って、ドヤ顔するのが良いのよね。来年歌おうかな。
 アルトリコーダーはいちいち分解するのが面倒なので(と言うか、抜けなくなったF7CE.gif)、そのまましまえる袋を作りました。ソプラノ用は、キャスキッドソンの布が、すっかり色あせました。
 まじょ子町への道中、水芭蕉の群落は、まだ頭を出した所でした。二風谷ダムのダム湖には、おびただしい白鳥がいました。天気も悪く、自分の車ではなかったので、写真は撮ってないです。宮沢章二作詞・中田喜直作曲の「約束」の2番は、白鳥が主人公です。けっこう好きですよ。「愛の白鳥よ~ 励まし合いながら~」
 木金土日は、ヨガ・ゴミ拾い・告別式&歌会、そしてまじょ子町遠征と、今の私にとっては体にきつい過密スケジュールでした。今日は予定無し。ダラダラします。
# by nyankai | 2018-04-16 09:27 | 音楽(合唱) | Trackback | Comments(3)

 富川合唱団(まだR.R.Singersというニックネームは付いていない)元団長さんの告別式に行ってきました。お通夜に行こうか、告別式に行こうか、本当は地元なのだから両方行けば良いのですが、迷っているうちに、高齢の元団員N谷さんから、告別式に一緒に行ってと頼まれたので、そ歌を歌った~歌を歌った~ (4/15)_d0017084_98106.jpgうしました。
 大学で一応音楽を勉強し、就職して、そこに合唱団があるのなら、入ってやっても良いよとまではうぬぼれてはいませんでしたが、どんなもんかね、位には思っていました。その時の団長さんは、学校にも関わりのある商売をしていて、職員室で、教頭先生がニコニコしながら、「この人、合唱団の団長さんだよ」と紹介してくれたパンチパーマの人が、事の始まりでした。
 合唱団は思ったより、かなり上手でした。パンチパーマさんは、とっても優しく面倒見が良く、誰からも好かれる、そして転勤族ではない、団長にぴったりの人でした。飲み会の日などは、みんなまとめて団長家に泊まったりね。又、すばらしいバリトンで、「フォーレのレクイエムのリベラメ」のソロを歌いもしました。ピアニストと結婚しました。
 今年のごちゃコンで歌う「明日があるさ」の、不肖わたくしニャンカイの替え歌「若い仲間が集まって 歌を歌った 幸せ感じてた」や「週に1度の練習日 なぜか気になるあの人が 誘ってみよう」などは、フィクションではないのです。
歌を歌った~歌を歌った~ (4/15)_d0017084_993379.jpg 団長を次の人に引き継いでから、家業が忙しく、「仕事の責任重くなる 育児も家事も忙しい 歌う暇ない」も現実、何となく足が遠のいて行ったという感じだったのでしょう。40代半ばくらいで病に倒れ、その後遺症と闘う日々になりました。奥さんは、家業とピアノ教室とを切り盛りし、元団長を支え続けました。
 同じ町に住んでいて、たまにスーパー等で奥さんにばったり会うことはありました。でも、去年から一段と病気が重くなっていたとのこと、知りませんでした。最近行ったお葬式の中では、久々に本気で泣けました。奥さん、良くがんばったね。
 告別式で会った懐かしい面々と、今度はこういった場じゃない所で会いたいね・・・それはめったに実現しないことはわかっていますが、なんて事を言いながら、お別れしました。あっちの世界に、団長と一応指揮者のいっちゃんがそろったので、合唱団作っておいてください。後20~30年位経ったら、ぼちぼちそちらに行く人がいますから、ゆっくり待っててね。又一緒に歌いましょう。
 写真は、昭和58年夏(私産前)と、59年春の演奏会(私産後)。この時は、もうパンチパーマではありません。
# by nyankai | 2018-04-15 09:05 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(2)

たんぱら (4/14)

 早朝に地震があったようで。ここはプレートが違うようで、良かったですが。
 ゴミ拾い、参加しました。この町に移り住んだ年と、いっちゃん闘病中だった次の年は、「記憶の限りでは、連絡すらもらってございません」(変な表現)が、その次からは、先約が無い限り参加しています。先約も何も、ファックスで連絡が来るのは、だいたい前々日位、遅いんだってば。たんぱら (4/14)_d0017084_913655.jpgヒヤヒヤものです。
 資料袋を2つ持って、燃やせる物と、燃やせない物に分けて、いっぱいになったら軽トラが持って行ってくれるのですが、去年から、会館前で待機、運ばれてくるごみを、さらに分別する係になれたので、かなり楽にはなりました。トラクターが2台、トラックが2台。トラクターのバケットに、袋から出したごみを入れて、いっぱいになったらバケットを持ち上げて、トラックにガラガラと空けます。全く豪快なゴミ拾いです。
 軽トラを待つ間、ゴミ拾いに出てくる最高齢の男性や何人かの女の人達で、外は寒いので、会館の玄関でおしゃべり。私は直接はほとんど話題に入れないのですが、特別苦痛でもないので、ホ~ホ~などと聞いています。
 この地区は、戦後開拓された所です。入ったのは、私の親世代です。今は、2代目から3代目へという辺りです。最近酪農をやめた方がいて、色々な話をしていました。息子さんが帰って来て、酪農を継ぐことになって、これから牛を増やしてと思っていたのだけれど、結局辞めることになってしまってと、少しさみしそうでした。
 たんぱら (4/14)_d0017084_9134056.jpgよそ様の家庭の事情等、どうでも良いのですが、又気になる言葉が出てきました。「たんぱら」です。たんぱら(短腹)とは、気が短くすぐ立腹することです。どこの誰それはたんぱらであるとか、そんな話です。たんぱら自体はわかります。でも、私の周辺に、私に直接害を及ぼすたんぱらな人はいませんでした。いっちゃんは、運転中やテレビに向かって突っ込みを入れることはありましたし、息子が恐れる怖い父親でしたが、私に対してはそんな気配すら見せたことはありませんでした。だから身近な人にたんぱら迷惑を被った愚痴をこぼし続ける人が、不思議でなりません。どうして、そんなたんぱらを許しているのさ。たんぱら受けたら、倍にして返して、教育してやらなきゃ。話さなくては、わからないことは多いのです。それでもだめだったら、そんなひどい人と一緒にいてはいけない、と思うのですが。
 今年も、農協の豪華お弁当でしたが、女の人は誰も会食に残らないようだったので、寒かったしで、持って帰って、家でいただきました。完食できました。
 富川合唱団の、元団長さんが亡くなりました。これから、告別式に行きます。
# by nyankai | 2018-04-14 09:10 | 心もよう | Trackback | Comments(6)

 一昨日の夜は体調も悪く、本当に消えてなくなりたいほど悲観的になっていましたが、昨日はヨガに行けたし、お天気も良かったので、私の心はコロコロ変わります。薬の効き方が、この程度で折り合おう、あるがままを受け入れてみようとがんばってみましたが、やっぱりだめです。往生際の悪さには、やや自信があるんです。この程度で、薬は効いているとは、たとえば「遠慮」と言う言葉 (4/13 金曜日)_d0017084_935397.jpg言われたくないのです。
 近頃、ニュース番具などで流れる言葉遣いには、うんざりしているのですが、昨日はこんなのがありました。静岡市で開かれた大相撲の春巡業で、力士が土俵で子どもに稽古をつける「ちびっこ相撲」に参加予定だった小学生の女の子に対し、日本相撲協会から「女の子は遠慮してもらいたい」と連絡があったそうです。ニュースによると、「けがに配慮して」とのこと。
 あらあら。今日は女人禁制の話しではなくて、そこはまだはっきり考えを書ける段階ではないから、この「遠慮してほしい」の部分に突っ込みを入れてみたいです。
 「遠慮」の意味は、人に対して、言葉や行動を慎み控えることです。ということは、ちびっこ相撲に参加することになっていた女の子が、日本相撲協会に対して、(日本相撲協会に言われて)参加すると言う行動を慎み控えたということです。すごく変じゃないですかF65B.gifなぜ、慎み控えなければならないのか、それも女の子たち本人が、何か考える所あってそうしたと言うならともかく、事実上の「お断り」を「遠慮」と言う言葉でごまかし、責任逃れをしているようで、卑怯です。おまけにその理由が「けが」だなんて。下手過ぎる言い訳が悲しくさえあります。
 7月にスタートする、劇団四季の「サウンドオブミュージック」のCMが入りました。「ドレミの歌」が「ドレミ」か「シ♭ドレ」かを確かめるチャンス。わかりましたF7C3.gif。四季はちゃんと「ドレミ」で歌っているもようです。最後のハイC出すのでしょうね。残念ながら、ごちゃコンが終わってからの初日です。英語の歌詞が、なかなか覚えられません。暗譜は義務ではありませんが、楽譜見ながらアリアを歌いたくはありません。チケットは会員先行発売で、もう買っちゃいました。
 この頃、夜寝る時に、幸せを感じます。どうかこのまま目が覚めませんようにと。でも、今朝も覚めてしまいました。これから町内会のゴミ拾いです。去年も一昨年も、体調悪くても行きました。今日F660.gifも行きます。豪華お弁当が出ますしね。午後は寝込むかもしれないけど。
# by nyankai | 2018-04-13 09:02 | 社会 | Trackback | Comments(4)