ニャンコ座から 「合唱」 「猫」 「ミュージカル」 「パッチワーク」 「亡き夫」 など 大好きなことをおしゃべりします おいでくださってありがとうございます

by nyankai

カテゴリ:人 あれこれ( 488 )

 It's fine day. 今日は父の命日です。過去のブログをさかのぼったら、5年前に父の死んだ日のことを書いていました。でももう1度書いてもd0017084_935312.jpg良いだろうと思います。
 44年前、1974年(昭和49年)の春、私は大学に入りたてでしたが、学生課に呼ばれてだったか、寮に電話がかかって来たのか覚えていませんが、すぐに家に帰る様言われました。折悪しく国鉄がストライキ中で(誤解してもらっては困ります。私は労働者の味方です。必要ならばストライキをしましょう)、その時労組が無かった軟弱な中央バスに乗って、札幌へ出て、苫小牧まで行って、その先はどうしようもなく、母に連絡したら、タクシーで帰って来いと言われ、そうしました。父の容体は限界だったのです。
 すぐに病室に向かいました。その時はやっていた、厚底の靴を履いていた私を見て、父が「変な靴だなぁ」と言ってほほ笑んだのを覚えています。父の言葉は、それが最後でした。苦痛を和らげるために、モルヒネを投与してもらっていたので、意識は混濁していました。家族で病室に泊まり込み、翌朝早く、父は亡くなりました。
 人一倍丈夫だった父が、胃の不調を自覚して病院に行った時は、すでに末期がんでした。都会の大病院にいてももう手の施しようもなかったので、地元の病院がよかろうと、町の国保病院に入院していました。やや重い胃潰瘍だと言うことにして。病室の窓からは、自分の勤務先の小学校の新校舎が出来て行くのが見え、そこに復帰するのを楽しみにしていました。
 その34年後、病院の建物自体は替わっていましたが、全く同じ景色を、母と同じように、いっちゃんの病室から見ることにd0017084_9365282.jpgなるとはね。
 4月はほとんど大学に行った覚えが無く、一息ついて、何かの用で学生課に行くと、職員が「もう戻って来れないんじゃないかと、心配していました。大学続けられるんですね、良かったですね」と、喜んでくれました。
 弟がまだ小さかった頃は、良く父が私を連れて、自分の兄弟の所などに遊びに行きました。伯父伯母や従兄達と歩いています。昭和36年のこと。親戚が集まっている模様なので、祖父の法事でもしたのかもしれません。私はくたびれたとわがままを言い、花を手に持って、父におぶってもらっています。きっと、とっても嬉しかったんだろうなぁと思います。息子がだんだん、父にそっくりになってきていて、この写真が数年後の息子と笑美ちゃんになるんじゃないかと、楽しみです。
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by nyankai | 2018-04-17 09:34 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(2)
 富川合唱団(まだR.R.Singersというニックネームは付いていない)元団長さんの告別式に行ってきました。お通夜に行こうか、告別式に行こうか、本当は地元なのだから両方行けば良いのですが、迷っているうちに、高齢の元団員N谷さんから、告別式に一緒に行ってと頼まれたので、そd0017084_98106.jpgうしました。
 大学で一応音楽を勉強し、就職して、そこに合唱団があるのなら、入ってやっても良いよとまではうぬぼれてはいませんでしたが、どんなもんかね、位には思っていました。その時の団長さんは、学校にも関わりのある商売をしていて、職員室で、教頭先生がニコニコしながら、「この人、合唱団の団長さんだよ」と紹介してくれたパンチパーマの人が、事の始まりでした。
 合唱団は思ったより、かなり上手でした。パンチパーマさんは、とっても優しく面倒見が良く、誰からも好かれる、そして転勤族ではない、団長にぴったりの人でした。飲み会の日などは、みんなまとめて団長家に泊まったりね。又、すばらしいバリトンで、「フォーレのレクイエムのリベラメ」のソロを歌いもしました。ピアニストと結婚しました。
 今年のごちゃコンで歌う「明日があるさ」の、不肖わたくしニャンカイの替え歌「若い仲間が集まって 歌を歌った 幸せ感じてた」や「週に1度の練習日 なぜか気になるあの人が 誘ってみよう」などは、フィクションではないのです。
d0017084_993379.jpg 団長を次の人に引き継いでから、家業が忙しく、「仕事の責任重くなる 育児も家事も忙しい 歌う暇ない」も現実、何となく足が遠のいて行ったという感じだったのでしょう。40代半ばくらいで病に倒れ、その後遺症と闘う日々になりました。奥さんは、家業とピアノ教室とを切り盛りし、元団長を支え続けました。
 同じ町に住んでいて、たまにスーパー等で奥さんにばったり会うことはありました。でも、去年から一段と病気が重くなっていたとのこと、知りませんでした。最近行ったお葬式の中では、久々に本気で泣けました。奥さん、良くがんばったね。
 告別式で会った懐かしい面々と、今度はこういった場じゃない所で会いたいね・・・それはめったに実現しないことはわかっていますが、なんて事を言いながら、お別れしました。あっちの世界に、団長と一応指揮者のいっちゃんがそろったので、合唱団作っておいてください。後20~30年位経ったら、ぼちぼちそちらに行く人がいますから、ゆっくり待っててね。又一緒に歌いましょう。
 写真は、昭和58年夏(私産前)と、59年春の演奏会(私産後)。この時は、もうパンチパーマではありません。
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by nyankai | 2018-04-15 09:05 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(2)
 大谷、すごいねぇ。去年までは、我らが日ハムの大谷だったけれど、今や日本の大谷ですね。あちらの人が「ベーブ・ルースみたい」と言ってくれますが、いいえ、大谷はオリジナルですよ。
 昨日、本当は行くのが望ましい用と書いたのは、お葬式でした。場所は、車で45分位かかる町です。前夜のお通夜は雪が降っていたし、午後は歌会だし、こんな体調なので、端から行くことをほぼ諦めていました。
 亡くなった方は、80歳を少し回った男性で、元教員でした。最初に出会ったのは、父の転勤で行った、東の町でした。父よりは10歳ほど若かったのですが、父はその方をとても見こんでいました。奥様はちょっと姉さん女房で、教養があり品の良い女性で、母とは年も近く、d0017084_90112.jpg気が合っていました。
 次に会ったのは、いっちゃんが根室から日高管内に転勤できたその学校に、教頭としてやってきました。小規模校でしたから、家族ぐるみでお世話になりましたF3AD.gif。いっちゃんも尊敬していたと思います。
 又数年経って、息子が入学した小学校の(そこは大規模校)教頭先生でした。いくら地方で教員は少ないとは言え、同じ方と3度もご縁ができるなんて、そうあることではないと思います。
 定年退職した時は、どこかの校長先生だったのだと思いますが、家を建てて落ち着いた頃、1度訪ねた記憶があります。奥様が、その家で長年の夢だった書道教室を始めようと思っていると話していました。あれから20年と少し、その後は年賀状のやりとりだけのお付き合いになっていました。もちろんいっちゃんが死んだ時、母が死んだ時は、ご夫婦で来てくださいました。たぶん3~4年前に、ペガサス号の中で会いました。きっと、遠出には自家用車をやめたのだろうと思いました。席が遠かったので、ごあいさつくらいしかできませんでした。
 今年の年賀状も、1日にいただいていました。「お孫さん、かわいいでしょう」等と添え書きまであって。ご主人の体調の事などには、何も触れてはいませんでした。だから、とても行きたかったのです。このご縁は、大切にしなければなりません。奥様にお手紙を出そうと思い、今パソコンで下書きを書いています。もう少し季節が良くなって、もう少し運転する元気が出たら、その町は両親のお墓がある町なので、お参りに行けたら良いなと思います。
 今日は、ファーチレと「ドラム・タオ」です。具合あまりは良くないんだけど。
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by nyankai | 2018-04-08 08:57 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(3)
 桃佳さん、3個目のメダルおめでとうございますF647.gif
 今日は又、札幌へ行きます。月一のパーキンソンの病院です。でもそれだけではもったいないので、その前にはマッサージを入れ、今日は午前中に整形外科も行きます。年に1度は見せにおいでと言われているので。
 息子のツイッターを見ると、「ダニエル太郎って、笑の内閣に出ているふざけた芸名みたいな名前だ」と書いていたので、あ~、又同じ話題を書いている、似たもの親子だとクスッとしました。d0017084_8302828.jpgもっとも、私はダニエル君をかわいいF379.gifと書いたのであって、中身は違うのですけどね。「ふざけた芸名」というのは、内閣には、本当にダニエルさんという役者が出てくれるからです。どちらのダニエルさんも、本名なのです。内閣のダニエルさんも、イケメンです。
 息子のツイッターをそのまま読んで行くと、例の森友問題についてのつぶやきがいくつかあります。校正の上引用いたしますと。
 昭恵さんのお嬢様系趣味多すぎで色んな場所飛び回りっぷり、交友関係広げ過ぎっぷりと、晋三さんの、妻にべた惚れ過ぎてそれを全部許しちゃうっぷりって、何かに似てるなって思ったら、うちの両親だ。あの夫婦は望んでいた子供を授からなかったからこその趣味の世界と、妻にべた惚れもあるだろうから、私(息子自信のこと)がいるのに多趣味な母と、子供より妻が大事な父の方がレベルが上だ。まあ、d0017084_831664.jpg私が女の子だったら父はまた違っただろうが。安倍ちゃんも楊貴妃好きすぎて反乱起こされるとか、サッチー好き過ぎて南海解任に並んだんなら、素敵なことだよ。
 ほ~、息子はこう見ていたんだ。いや、全く上手く伝わっていたものです。私は自己愛が強いので、子どもがすべてであるという母親にはならないだろうと、元から感じていたように思います。「あたしおかあさんだから」問題でしたっけF65B.gif息子はYちゃんに、好きなことをがまんさせないって宣言していましたから、私の子育ては、その点においては成功したのです。でも、1つ言わせてもらうなら、もっと稼いで安定した生活をしてほしいです。
 なんちゃって孫のハッチーから、ホワイトデーのプレゼントが届きました。一生懸命自分で選んでくれた、イースターエッグのお菓子です。ありがとう。今日帰ったら、食べてみますね。息子のゴジラ指人形と一緒に、写真に収めてみました。
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by nyankai | 2018-03-14 08:29 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(4)
 小平さん、金メダルおめでとうございますF647.gif とるだろうと言われながらとるって、さらに大変だろうなぁという気がします。青いスケート「サファイア」、とてもかっこいいです。
 今日は、いっちゃんと比べて、たぶんずっとわかりやすかったd0017084_936861.jpg父の誕生日です。
     お父ちゃん、91歳おめでとう067.gif
 父が生まれたのは、昭和2年2月19日です。昭和が1926年(大正15年)12月25日から始まったので、本当に昭和になってすぐです。今さらどうってこともないでしょうから書きますが、父の名前は「重昭」です。ねっ、昭和でしょ。
 たぶん分かりやすかったと言うのは、父はタバコも酒もやって、巨人が好きで、仕事熱心で、子煩悩であり、子どもに対して自分の希望も口に出していたし(私は全然父の希望に添いませんでしたが)、気にくわないことがあると不機嫌になりました。そんな時は母と目配せしながら「お父ちゃん、機嫌悪いよね、困ったもんだ」と笑いました。お子ちゃまみたいな所がある父でした。
 息子がいっちゃんともっと話しておけば良かったと書いていますが、私はそれどころではありません。父のアルバムを見ても、裏に説明が書かれていないと、全然何の写真かわからないし、考えてみると父の経歴すら、断片的にしか知りません。ほろ酔いの父から聞かされる雑学と同じように、d0017084_9365938.jpg父の思い出話は1つ1つはキラキラ輝くパーツなのに、つながったものとして存在していないのです。ちゃんと把握しておくべきでした。母もいないし、父の兄弟もすでになく、今となっては確かめるすべもありません。
 丸刈りで眼鏡の少年の写真の裏には、「高等2年 級長」と書かれてありました。ほ~、級長だったのか。もう1枚は、どんなシチュエーションなのか知る由もありませんが、四角い顔が笑えます。父は職場で、重箱みたいな顔だと言われたそうです。もう1人四角い人がいて、その人は下駄と言われ、弟分のように思っていたらしいです。ほら、そんな些末なことは知っているのです。
 このえらの張り具合や鼻の形が、息子と良く似ているのです。額の形は全く違うのですが、隔世遺伝は恐ろしい。お父ちゃん、笑の内閣上皇様は、間違いなくあなたの孫です。息子達家族を、どうぞ見守ってください。あちらでは、お母ちゃんを大切にね。
 思いついたんですけど、笑美ちゃんに何と呼んでもらいたいかって、沖縄風に「おばぁ」はどうでしょうね。
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by nyankai | 2018-02-19 09:32 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(3)
 夜中に雪が降る予報だったので、今朝は恐る恐る外を見ると、積雪は5㎝位。この程度で良かった。
024.gif34' Happy Birthday To My Son024.gif
d0017084_9482873.jpg まさか息子が34歳になろうとは、自分が62歳であることよりも不思議な気分です。日馬富士よりも白鵬よりも金正恩よりも年上だということが、にわかには信じられないです。
 先日、息子からのやや重要な郵便物が、予定通り届かない事件がありました。日本の郵便局はかなりあてにできると思っていますが、なぜなのかを考えてみたら、息子が郵便番号を書き間違えていて、たぶんそのせいで、余計な回り道をしてきたのだろうと思いました。そんないい加減な息子ですが。
 この間、もともと持っていた、猫とピカチュウのぬいぐるみがばっちくて、笑美ちゃんを遊ばせられないと、Yちゃんに叱られたからって、一生懸命に洗ったそうです。帰省すると母親が病気なのにもかかわらず、まず動かない、息子が、ぬいぐるみを洗ったということが、とっても新鮮でした。
d0017084_9492044.jpg 去年の誕生日の頃は、いくらなんでもまだ笑美ちゃんが生まれるなどとはこれっぽっちも思わずにいました。こんなに誕生日が近くては、おそらく今後は息子の誕生日は省略というか、吸収合併されて行くことでしょうから、私が盛大に祝ってやりましょう。
 息子が赤ちゃんの頃の、いっちゃんとの写真を探してみたら、何枚か良いのが見つかりました。この時まだ、いっちゃんは29歳後半です。それでも私(28歳なりたて)は、全幅の信頼を抱いていました。大人である、社会人である、父親であると。今日34歳になった息子は、稼ぎは少ないですが、私が思っているより、心配しなくともちゃんとした父親になっている・・・のかな。だったら良いのだけれど。
 農協の直売コーナーに、長谷川京子さんが作った、うずまきカリフラワー(250円)があったので、買ってみました。自然とは、なぜにこんなに凝った形を作りだすのでしょう。味や食感は、普通のカリフラワーでした。
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by nyankai | 2017-12-05 09:46 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(0)
 私は、プチ歴女のつもりです。あくまでプチです。と言い訳しておかないと、知識の無さがバレバレですd0017084_1010279.jpgからね。
 「直虎」を見ていて、於大の方が栗原小巻で、すごく久しぶりに見た気がします。栗原小巻と言えば、1967年の「三姉妹」です。旗本の三姉妹の、長女むらが岡田茉莉子、二女るいが藤村志保、三女雪が栗原小巻でした。波をバックに流れるテーマ音楽も、口ずさむ事ができます。恐るべき10代の記憶力です。
 いや、その三姉妹の話ではなく、浅井の三姉妹(茶々、初、江)でもなく、昨日の夜激しく久しぶりに、姉上と姉様と、ご飯を食べました。姉様は今は家庭の事情などであまり自由時間が無く、一時のように遊んで歩くことができません。姉上とは、4月に一緒に韓国旅行をしたのですが、その後私はガクンと具合が悪くなってしまったものだから、不審に思い、どうも声をかけるのをためらってくれていた・・・らしい・・・のです。
 姉様が時間がとれたから、3人でご飯食べようと誘ってくれたのです。私の食欲も、優しいナウゼリンのおかげもあって、何とか持ち直していたので、出かけてみました。正確には、姉上が電池とガソリンで走る、赤い新車でd0017084_10163132.jpg迎えに来てくれたのです。
 誰も飲まないのに(本当は3人とも飲めるけど)、色々なものをちょこっとずつ食べたいのと、心置きなく長時間おしゃべりしたいからと、行き先は「つぼ八」にしました。掘りごたつで、冷たい左足がポカポカして、大そう気持ち良かったです。お茶とお水で、1人前ずつをあれこれ注文して、3時間以上しゃべり続けました。その間、私の左腕と左脚は、相変わらず硬いままではありましたが、姉上の一息が続く限りしゃべりも、姉様の高笑いも健在で、楽しかったです。姉上は、ボランティア活動や車であちこち出かけるエネルギーも、ちっとも変わっていなくて、三女が今は1番情けないです。
 2人とも、もうすでにR.R.Singersのメンバーではないのは寂しいけれど、こうして連れだしてくれるのを、ありがたいと思います。
 帰りの車のフロントガラスは、凍っていました。つぼ八の写真も、ご馳走の写真も撮って来なかったので、初冬の庭の苺とハニーサックルの写真です。今朝はしっかり氷点下です。
 息子が公演の参加者への感謝の気持ちを書いていました。結びが「みなさん、本当にありがとうございます。わしゃあね、本当に人に恵まれているよ。」だったので、良かったです。
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by nyankai | 2017-11-17 10:08 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(0)
 昨日はいくらか動けそうだったので、午前中玄関横の納戸を片付け始めました。ここは唯一暖房が入らない部屋なので、比較的涼しく、野菜などを入れておけるので、そのスペースを確保したくて。小一時間ほどやっていたら、急にこわくてこわくてたまらなくなり、30分ほど横になっていました。これだから、自信無くなるんだよね。パーキンソンのせいで、自律神経がいかれてしまっているのか、慢性疲労症候群を併発しているのか、良くわかんないけど、疲労状態にあることは確かです。
 でも一つ、気になっていたことを片付けました。いっちゃんの実家とYちゃんの実家に、ニャンコ座町のおいしい海の幸を送りました。お店ではなく、いつもの水産会社から。いっちゃんの実家はししゃもだけ、Yちゃんの実家は、ししゃもの他タコイカ、ツブや鮭の山漬けなどのセットを。ついでに、今年不漁でめちゃめちゃ高いという、いくらの醤油漬け、息子に「今年は高過ぎるので無し」と電話したら、「1回位食べたいなぁ」と悲しそうにされたので、どうせ高いならプロが作ったやつをと思って、買ってきました。他に何かみつくろって送ってやろうと思います。母親って、どうしてこうなんだろ。
d0017084_93799.jpg 息子は今日から「名誉男性鈴子」の京都公演です。たくさん入って、収入になりますように。だってさ、笑美ちゃん、もうすぐ1歳ですよ。少しでも、演劇で食えるようになりますように。バイトしないで済むようになりますように。
 この間とある引き出しをちょっと整理していたら、その息子が書いた・描いた懐かしい物が出てきました。セリーグは、熱烈阪神ファンの息子が、確かおぼろげな記憶では、阪神凧を作ったような気が。99.10.1とあるので、優勝したのかなと思って調べたら、最下位じゃありませんか。ということは、息子の妄想のなせる業だったのですね。
 息子は、字も絵も下手くそです。でも、何だか味わいがあるのです。この絵も全員(観客席まで)手を抜いていないし、岡田とか藤川とか新庄とか坪井とか藪とか、なんかとってもなつかしい。99年ってことは、16歳高校1年か、何でこんな暇なことしたんだか。この後、阪神ファンが高じて、京都に行ってしまったんだよね。笑美ちゃんを、甲子園球場に連れて行くのが夢なんだって。その前に、清潔でお上品な札幌ドームからだよね。
 今日は、少し動けると良いのですが。パソコンが不調です。いよいよ古くなったかな。
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by nyankai | 2017-11-09 09:33 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(0)
 息子が、今年最後のデッキでお昼寝の温かさを、持って帰ってしまいました。ピートポンプ暖房、始動しました。おひとり様は、そうでなくとも寒いので。
 昨日の朝は、ソルマックを買いに走るほどひどい二日酔いだったくせに、精一杯強がって夜の練習(もう東京公演が2週間後に迫っている)には、ビシッと出られると言いながら、d0017084_9145169.jpg私のお下がりのバッグをしょって、帰って行きました。練習後に、元気にツイキャスしていたので、良しとしましょう。
 それにしても、一昨日の夜の酔っ払い達は、息子と言えども、見事に酔っぱらいオッサンでした。エラの張り具合や、鼻の形など、もう40年以上前で途切れている、父が酔っぱらった姿を、思い出していました。はっきり言って、大酔っぱらいは嫌いです。「大」は、少なからず、具合が悪くなるレベルとしてください。それは本人の責任以外の何ものでもありません。酒乱は論外です。
 でも、昨日は、息子の友達に「おばさん、辛かったでしょう(いっちゃんが死んでさ)。おばさんが元気で良かった」と言ってもらえて、何だかとても楽しい時間だったのです。本当は元気じゃないけどさ。友達はビール。息子はウヰスキー、ガンガン行く。おい、明日は仕事(森林関係)と京都へ帰るご両人、どうなっても私は知らないよ。私は、ビールを1缶だけいただきました。
 d0017084_9153183.jpg3人で、息子がどうしたらもっと売れて、芝居で飯食って行けるようになるか、又解散前夜、政治の話ももちろんしました。
 私が地味に好きなテレビ番組の中に「日本人のおなまえっ」があります。昨夜は、人気No,1のお名前でしたが、もちろん我が家のメンバーにはダリも含めて、そんなありふれたお名前はおりませんことよ。でも、面白いことが分かりました。男子は長いこと、漢字一文字の名前が多かったこと。それには親の願いのエネルギーが込められていること。そのルーツは、嵯峨天皇にあること、です。
 もうすでにバレバレなので書きますが、息子の名前は「響」です。いっちゃんの名前も漢字一文字でした。そう言えば、弟もだわ。息子の芝居が、全国津々浦々、いいえ全世界に響き渡りますように。
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by nyankai | 2017-09-29 09:11 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(0)
 お気づきでしょうが、もう1人で来ることはないと思っていましたが、息子がちょっと滞在しています。昨日は至福のデッキで昼寝ができ、又、d0017084_9452065.jpg近所の競馬場へも行けて、嬉しそうでした。今夜は友達と飲むらしい。明日の朝帰ってしまいます。
 これだけ宣伝してもらえたら、行かないとダメ人間の烙印を押さそうな気さえしてくる「Van Gogh&Japanゴッホ展 巡りゆく日本の夢」に、3ステージと楽の間が程良く空いていたし、一緒にご飯食べる相手も無し、他に特に行きたい所も無し・・・ゴッホごめんなさい、地下鉄ドニチカ切符を買って、行ってみました。私は、絵を見る目があるとは思っていません。ゴッホがどれほど偉大なのかも、実はわかっていません。でも、絵が好きな父が持っていた、世界の画家、みたいな絵画全集を見るのは好きで、その中でもゴッホの勢いは感じとっていたかもしれません。この度は、日本に憧れていたというとらえ方をしていて、英泉や広重や北斎の浮世絵との対比もされていたしd0017084_947960.jpg、北斎もテレビ(ヒストリアやドラマ)で取り上げられていたし、あ~、やっぱり宣伝はテレビだわ。
 あんなに混んでいる近代美術館、初めてでした。私、めったに土日にはいかないものね。受付で「見やすい所からご覧ください」と言われた意味がわかりました。絵が見えない。こんなにゴッホに興味がある人がいるとは、思いませんでした。いや、そんな訳はない、私と同じ、あんまり言われるから、見ない訳にはいかなくなって、とりあえず行ってみるかと思った人もたくさんいるんじゃないの?
 正直ゴッホよりも、この間見た、いかりやさんの写実的な水彩画の方が好きです。水彩画は、白を塗り残すと聞いたばかりだったので、白い油絵の具が、力強い筆運びで盛り上がっているのを見て、とても納得できました。あの有名な「耳切り事件」の後は精神を病むようになってしまったゴッホですが、絵から感じるのは、エネルギーです。
 ちょうど新聞のコラムに、「ゴッホは黄色」だと書いてありました。そうですね、今回のゴッホ展の目玉「花魁」も「ひまわり」も「アルルの跳ね橋」も「寝室」も、みんな黄色が主役の色です。そして、黄色は元気をくれる色です。
 何だかあまり良く見られないまま、近美を後にしました。
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by nyankai | 2017-09-27 09:44 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(0)