ニャンコ座から 「合唱」 「猫」 「ミュージカル」 「パッチワーク」 「亡き夫」 など 大好きなことをおしゃべりします おいでくださってありがとうございます

by nyankai

2015年 02月 10日 ( 1 )

氷濤まつりの帰り道、同行者達(同年代)とトイレの話しになりました。花火が終わった後、冷えておしっこがしたくて、トイレ大混雑だったら、危機的状況だった人がいて、そんな話題になったのです。がっちり防寒対策をしてトイレを使うのは、それはそれで面倒なことでした。マコウンチ
d0017084_9314440.jpg木造校舎だった小学校のトイレ・・・などというものではない、便所は、できれば行きたくない場所でした。中学校は、新築間もなく、地方にあっては珍しく、水洗トイレでした。ありがたかったですが、当時はまだ一般家庭で水洗の家は珍しく、女子は生理のナプキンの始末に、戸惑いました。
私が記憶に残る最初の家のお便所は(思い違いでなければ)、金隠しが木製で、もちろん蓋があって、サイズの合う菓子箱か何かに茶チリ(新聞紙から脱出、その後「白龍」を使うことが憧れになった)を入れていました。ドアを開けると先に男子便所があってさらにもう1枚のドアの向こうが女子便所であり、外に面した壁には、掃き出し窓(室内のホコリなどを 掃き出すために、壁の最下部に設けられた小さな窓)がありました。古い家は、縁側の果てにお便所があって、夜は恐ろしくて行けませんでした。ネットで見つけた画像ですが、近いかも。
d0017084_9332064.jpg内容物は、どこの家でも、貯まってきたら自力でくみ出して、畑にまきました。その日の臭かったのなんのって。でも、「臭い」と顔をしかめつつ、笑っていたと思います。冬は中味が凍ってしまい、だんだん尖ってきます。それを棒でつついて、くだきました。昭和30年代の田舎の話ですが、壮絶ですね。
   女でも金隠しとはこれ如何に
一般住宅で、洋式が主流になる過渡期に、段差の付いた和式の時期がありました。男子トイレが姿を消したのです。そこに、洋式にするための簡易便座を設置したこともありました。田舎町でも下水道が整えられ、教員住宅が水洗になったのは、ずっと後々のことです。
今では、ニャンコ座のこだわったトイレなど、家の中で1番居心地の良い、落ち着く場所かもしれません。寒くも無く、怖くも無く、暗くも無く、臭くも無いトイレです。生まれた時から、こんな世界一の日本のトイレしか知らない子ども達は、世界のトイレ事情など知る由も無く育っていくのですね。自動で蓋が開いて、お尻を洗って乾かしてくれて、自動で水が流れるのが、当たり前だとかさ。こんな私もハワイに行って、一流ホテルでも、特別のお部屋しかウォシュレットが無いことに、驚きましてけど。
ごちゃコン曲目紹介は、うぬぼれた人間に警鐘を鳴らしかつ、希望を感じる歌です。
 ☆「廃墟の鳩」作詞:山上路夫/作曲:村井邦彦/編曲:青島広志―1968年、タイガースの楽曲、ジュリーではなくトッポがリードボーカルでした。青島広志の編曲は、間奏がバロックになっています。混声四部の四重唱で歌います。
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by nyankai | 2015-02-10 09:16 | 社会 | Trackback | Comments(3)