2007年 12月 02日
富川合唱団残念忘年会 (12/2)
夫は外泊中ですが、参加するほどには体力が戻っていないので、息子と留守番でした。そもそも、今息子が帰ってきてくれているのは、この時期まで夫が入院しているとは思いもよらず、合唱祭に参加するとなると1日中留守になるので、夫を一人にしてはおけないからでした。
私は中学から合唱を始めました。中学校の音楽の先生は、私にとって音楽の師です。大学で音楽を学んだ者は、地域で音楽活動をしなければならない。それが使命であり、恩返しであると教えてくれました。私はそんなにりっぱなもんじゃありませんし、いつもいつも迷ってぐらついていますが、この町に歌いたいと思っている人がいて、練習の後で『今日も歌えて楽しかった。』と感じる人がいるならば、仲間に入れてもらって役に立ちたいと思っています。
合唱祭に参加できなかった理由を、自分で納得したくて、あれこれ考えました。夫も含め、体調を崩して休んでいる団員がいる、歌が下手くそだ、会場のえりも町が遠すぎる、等々。でも、1番は、私自身がやりきっていないこと。それはもちろん、夫の事をかかえて仕方が無い事です。ずい分思い上がったことを言うようですが、「加えていただく」スタンスが許される「コーロ・ファーチレ」と違い、富川合唱団は私が先頭を歩かないわけにはいかないのです。
忘年会、おいしくて楽しかったです。帰って、夫に報告をし、夫は夕食前に元気に病院に戻りました。写真は、心を込めて作った「忘年会のしおり」です。