2025年 12月 22日
生きがいとストレスを天秤にかけて (12/22 冬至)
昨日一昨日、全く
が顔を出さなかったので、冷え込んだ今朝、東の空に太陽が昇って来て、今日が1番夜が長い、あと少しの辛抱だと思いました。
私の「星に願いを」ですが、喉をおかしくしてしまってからは、かなりまともな出来ではあったし、その事に安堵もしています。でもずっと良く聴いて来てくれた人が、「高音に延びが無かったと言うか、硬い様に感じた」と、申し訳なさそうに言ってくれました。当たっています。私自身も最後は、快感はなくて、どうやって出すか試行錯誤して、ようやく出した声なのです。
合唱でもソロでも、ずっと最終的には「歌」に取り組んでいました。でも今は「声」に取り組んでいます。そこに歌と言うごほうびが無くては、つまんないのです。
同じではないですが、声のトラブルに遭ったことがある歌友が、以前くれた資料に、そういう時は、声の練習をして、歌の練習はがまんしようみたいなことが書いてありました。
声の練習は、地味で面白くなくて、ストレスフルです。歌をやめたら(やめると言うのは、一切歌わないと言う意味ではなく、鼻歌とか、カラオケとかは含まれません)、このストレスからは解放されます。私にとっては、歌は生きがいなので「生きがい」と「ストレス」を天秤にかけているのです。加えてやめるとか休むとかを選択した場合、2度と戻ってこられなくなるであろう恐怖があります。
昨日、ファーチレの練習を休みました。直接の理由は、天候と歩道の恐ろしさです。そして、このところの荒っぽい薬切れによる体調不良です。でももし、声に問題が発生しておらず、歌うことが快感だったら、天候何のその、ペガサスの不便さなどものともせず、体調不良を乗り越えて、行った事でしょう。そこまでのイメージができないのです。
チェロさんが、「星を慈しむような動きが素敵でした。歌に説得力がありました。弦も歌と寄り添えてうれしかったです」と言ってくれました。まさか、星に見立てたボールには、歌詞が書いてあったという話は別として、そしてボールが星であると言うのは、「わらび座の星めぐり」のパクリだけれど、あの瞬間、私は手の中にある星に、自分と皆様の願いが叶いますようとの思いを込めて歌いました。
歌友に愚痴ってみました。答えは明快でした。気が進まないなら、休めば良い、心がそう言っているのだから・・・そうだよね。あ~、負けず嫌いと見栄っ張りは、ほどほどにせねば。
クリスマスギフト展の「メリー・バクリマス・ツリー」には、不思議なものがバクられています。ポットとか、カイロとか、アルミホイルとか。もう一組の出演者は、オリジナルの歌を歌ってくれました。







