2つの節目 (8/6 広島原爆の日)
2025年 08月 06日 今年もやって来ました。原爆の日。80年の時が経ち、人々は何も学ばなかった様に戦争をし、核兵器を抑止力と位置づけ、原発に頼ろうとしています。原爆の事は、9日に改めて書く予定です。
一昨日深夜、苫小牧西港のフェリーターミナルに、大切な友達の見送りに行きました。余市農芸学舎で知り合った崔美麗(チェ・ミリョ)さんと息子さんです。
ミリョさんは、私が全く知らなかった朝鮮の事を、たくさん教えてくれましたFacebookに「もう少ししたら東京に引っ越す」と書いてあったので、あわてて連絡をとったら、조선학교(ウリハッキョ:私たちの学校)の見学会に誘ってくれました。
私には到底理解不能なスケールの人で、和書輪車(図書館)という車で、息子さんと2人、余市に流れ着いた…ように私には見えた。何と勇気のある人だろう。尊敬を通り越していました。
在日の話、戦争の話、日本との関係、お母様とそのお友達が来てくださり、エネルギッシュな「アリラン」を見せてくれた時、ウリハッキョの映画、どれもが大切な記憶ですが、「イムジン河」(2023年11月12日)を一緒に歌えたのが、特に宝物です。
ミリョさんの、ママ・コーチングの活動が軌道に乗り始めて、農芸学舎で会える事は少なくなりましたが、Facebookでその様子は、いつも生き生きと感じ取れていました。でも実際にどんな活動なのかは、良くわかっていなかったのです。ごめんなさい、理解できてなくて。
そうは言っても、東京に拠点を移す事は、当然の成り行きだと感じました。私たちだけのミリョさんであるはずはなかったのです。だから、シマエナガちゃん&ゴマちゃんスペシャルとラベンダースティックとお餞別を持って、フェリーに乗り込む和書輪車を見送りに行きました。
ミリョさんとの付き合いは1つの節目を迎えたけれど、私はミリョさんが好きだ、ということだけははっきり言えます。
昨日はもう1つ、節目がありました。ハッチ~が吹奏楽部員として、競馬場イベントでの最後の演奏を終えました。中学生になりたてできゃしゃなハッチ~が、大きなバリトンサックスに持たれている感じだったのが、スラリとしたイケメンになって、3年間吹き続けました。
ナナさんから始まって5回、ほとんど行ったような気がします。真夏の夢の様な競馬場イベントは、今や風物詩です。馬より大事ななんちゃって孫たちの成長を見るのが、私の夏のお約束でした。これで終わりだと思うと、なんだか寂しい。







