2019年 05月 16日
さびしいと怖い (5/16)
息子のいる病院までは、30分ルールを少しはみ出して、片道40分位です。帰りは左腕はだるくなるし、思考がクリアでなくなる瞬間があるようで、こんな私が運転して良いのだろうかと、かなり不安で疲れます。入院が長引くようだったら、何か手立てを考えなくてはなりません。
昨日は入院準備が全くできていなかったので、行くしかありませんでした。途中で少し買い物をして行くと、息子から「まだかかるかい」と催促が来ました。待っていてくれるんだね、私を。頼まれものを含めて、そこそこの荷物になったので、駐車場まで取りに来るよう言うと、ひときわ細くてはかなげな息子が、玄関から出てきました。すっかり病人になっていました。
「待ってたんだ、看護師さんと3人で話したくて」。何だか35年、見たことないほどに憔悴しきった息子の様子です。関西弁は全く出ません。ひたすら寝てばかりいるようです。将棋に誘ってもらったけれど、信じられない程すぐにギブしたそうです。玄関近くのコンビニ行くだけでも、ヘトヘトになるそうです。ご飯は食べられるけれど、おいしさは感じないそうです。テレビはあるけれど、見る気は起きないそうです。
担当看護師さんは、良く聞いてくれました。息子が発する言葉は、ほとんど「さびしい」と「怖い」だけになりました。友達がいても、私がいても、病院スタッフがいても、Yちゃんと笑美&笑音がいてくれないとさびしくてどうにもならなくて、このまま何もしないまま人生が終わるのが怖い、に行きついた気がしました。
息子が持って帰ってきた荷物は、いくつかのゲームの他、「笑の内閣」のDVD、選挙関係の資料、チラシや党の文書やたすきまで、まるで輝いていた自分の証を必死で忘れないようにしているかのようです。私に見せたいのだろうか。泣けて、泣けて。それを1番見せたかったのは、Yちゃんだったのでしょうに。
不治の病のいっちゃんを看病しました。充実した愛の日々でした。枯れ行く母を看病しました。感謝と己を見つめる日々でした。疲れ切った息子の看病が、始まりました。ごちゃコンとPMFなんてやっていて良いんだろうか。入院したこと、正しかったんだろうか。
抱きしめて幸せ願った赤ちゃんに 戻れるものなら戻してあげたい