2018年 09月 11日
こんな時になのかこんな時こそなのか (9/11の②)
6日未明、ベッドで感じた死の恐怖自体が夢のようで、壊れてしまった食器の数々も、引っ越し作業か何かのためにここにはないだけで、あの地震はなかったことにしてしまいたいと思っているような気がします。でも余震があるたびに、心がこわばり、あの日からず~っと頭がフワフワ揺れています。
ダリが甘えん坊になりました。直後にはいくら呼んでも反応が無かったダリは、てっきり何かの下敷きになってしまったかとも思いましたが、数時間後にどこからともなく現れました。1日のほとんどを1階で過ごし、決して一緒に寝てくれなかったのに、以来ベッドで寝るようになりました。昨夜は息子と寝ていました。私は新聞が読めなくなりました。読む気力がありません。
明日は、デイサービスのコンサートの予定でした。そう、地震の前日、「陽だまり」(施設名)に下見に行ったのでした。開けて昨日の月曜日、朝一での連絡を待ったのですが来ないので、こちらから問い合わせました。担当者から、予定通りやってもらえるならお願いしたいという返事だったので、ラインでその旨回しました。ある子ちゃんは、シモン君が情緒不安定になっているので、迷っていました。ピアニストは怖くて出かけられない、こんな時にやらなきゃいけないものなの?やるならもっと落ち着いてから、楽しくやりたいとの返事でした。そうこうしていたら、再度連絡があり、延期とのこと。最初から速やかに言ってくれれば良かったのに。何で被災者の私がこんなことしなきゃならないの。
あの朝、こんな時こそ、写真を残しておかなくてはならないと思いました。暗がりに向かって、何枚かの写真を撮りました。地震保険には入っていないので、証拠写真を撮ったわけではないのです。割れた食器も壁の亀裂も撮りました。本当は避難所の様子や、長蛇の列のガソリンスタンドやなども撮りたかったのです。
午後、割れた食器をゴミ置き場に運びました。愛しい食器たちとのお別れでした。ゴミ置き場はすさまじかったです。どさくさに紛れて、大型家電を出している人はいると思うけど。
息子は、短編演劇祭のために来道し、中止の連絡がない限りと、必死に札幌を目指し、けいこ場にしたシアターZOOの好意で、単独公演をやり遂げました。とても観劇どころではなかったのですが、私は母親ですから、観に行って、笑って、エネルギーをもらいました。もちろんこんな時にという批判はあるでしょう。でもこんな時だからこそ、77人ものお客様が集まり、一体感のある前説からアフタートークまで、息子の判断を100%支持します。
「陽だまり」コンサートは、来月で仕切り直しです。でも歌うことが何よりの心の安定になる私は、最高の無理をしてでも、こんな時こそコンサートをやりたかった気がしています。地震と直結することを引っ張りたくない。さっさと終わらせて、2018年の9月ごと葬り去りたいのかもしれません。
玄関に、水のペットボトルを置いて行ってくださったのは、どなたでしょう。ありがとうございます。