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ニャンコ座リポート since 2005 April

今一度浅利慶太について (7/21)

 北海道もそれなりに夏の様ですが、どうも太平洋側だけ蚊帳の外なのか、控えめです。昨日は午後になって25℃に届いたか今一度浅利慶太について (7/21)_d0017084_9481223.jpgどうか。
 浅利慶太の訃報を聞いて、最初は別に悲しい訳ではなかったのでが、その後途切れることなくジワジワと考えらさって(北海道弁)います。
 私は劇団四季が無くても、合唱は今でもやっていたはずです。でもミュージカルに関しては、「サウンド・オブ・ミュージック」と「ウエストサイド・ストーリー」、それから「ベルサイユのばら」、それ位の認識しか無く、完全な思い込みですが、どこか自分が入っていく世界ではないと感じていました。それが札幌にキャッツシアターができて、ブームに乗っかるのはどうかなぁとは思いましたが、家族で観に行きました。そして、ミュージカルに描いていたイメージが完全に変わりました。上手い!ダンスもそうですが、歌も上手い!息子は夢中になりました。今一度浅利慶太について (7/21)_d0017084_949116.jpgCDと楽譜を与えたら、尻尾を付けて、ずっと歌い踊っていました。息子は四季とはずいぶん違った事をやっていますが、根底には四季があるはずです。息子が演劇をやっているのは、四季のせいです。息子の演劇のレベルの平均値は、四季なんです。
 もしも演劇をやっていなかったら、発達障害の息子に、他にどんな人生があったのかはわかりませんが、少なくとも現在抱えている様々な苦しみは無くて、普通の30代中盤の生活をしているかもしれないと思うと、切ないです。
 2作品目は「オペラ座の怪人」でした。これが私の人生を変えました。まずは祐様との出会いです。この世にこんな風に歌える人がいるなんて、衝撃でした。四季が無ければ、俳優山口祐一郎は、誕生しなかったのです。詳細はわかりませんが、祐様は好ましくない経過で四季を退団します。追悼特集では、今一度浅利慶太について (7/21)_d0017084_9495745.jpg市村正親と鹿賀丈史が饒舌に語っていました。石丸幹二も出ました。でもそれ以上の人なんですよ、祐様は。悲しかったです。祐友がメールに書いていました。「四季では祐さんは触れてはいけない人なんでしょうね。浅利さんの愛情が深すぎちゃったんですね。可愛さ余って憎さ1万倍って感じ?」私も同感です。
 祐様が四季をやめて、北海道では観られなくなったので、東京まで行きました。そうしなければ、祐友との出会いはありませんでした。その後、すっかりミュージカルオタクになって、「劇団I’M」と出会い、合唱とミュージカルの表現の違いなどに苦しみながらも、表現の幅を広げて行くことができました。ごちゃコンがあるのも、私の中では四季の影響があります。今の四季は、巨大組織になり過ぎて、一人一人の顔が見えにくい気がしますが。
 浅利慶太は、私にとってはそういう人です。浅利慶太の言葉です。「生きていることは感動的である」。
Commented by 姐さん at 2018-07-21 11:58 x
そういう出会いだったのですね♬
人生を左右するほどの出会い
強烈だったのでしょうね( ´ ▽ ` )ノ

この前書いたポセイドン仮面祭
内容、全く覚えていないのです(-。-;

Commented by nyankai at 2018-07-21 13:15
★姐さんへ
そうなんです、左右されたんです。何が幸せかは、また別の話として。
大人は自分の意思で選択しますが、子供は親が作った環境からスタートするわけですからねぇ。
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by nyankai | 2018-07-21 09:42 | ミュージカル(舞台) | Trackback | Comments(2)