私は絶対に生き残れない (4/26)

 北海道にもようやく桜前線F6A3.gifがやってきました。桜前線が梅前線を追い越したようです。ニャンコ座の桜はまだ先、来週でしょうかねぇ。
 昨日昼前に、下っ腹が強烈に痛くなりました。トイレにこもること30分以上、陣痛みたいに(本当は忘れました)、波状攻撃してくる痛みに、汗びっしょりになりました。すべて排出してしまって、ようやく解放されましたF46C.gif。これって、思いっきり生活感ですね。体力消耗して、けっこうな時間ぐったりしていました。その後食べてはいますが、今朝もまだいささかすっきりしていない感じです。パーキンソンとは、たぶん無関係でしょう。いや、消化力不活性化という点で、d0017084_950292.jpg多少間接的にあるかな。 
 「シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のはがき」栗原俊雄著、を読みました。私、こういった硬派なドキュメンタリーが、けっこう好きなのです。知らなかったことを知るのが、喜びなのです。シベリア抑留の最後の帰還者の1人、佐藤健雄さんが妻とし子さんらと交わしたハガキが見つかり、それを資料として書かれた本です。
 満州と言えば、ちょっと前に放送された「どこにもない国」を見ました。丸山邦雄さんのことは、初めて知りました。母のお姉さんが満州からの引揚者で、母からほんのちょっとだけ、その苦労話を聞いたかな、そんな程度でした。そのほんのちょっとの中に、満州ではそこそこ良い暮らしをしていたらしいことが、あったように思います。
 私が満州、引き揚げと聞いて、1番に思い浮かべられるのは「大地の子」です。残留孤児の方達のその後は、どうなっているのでしょう。それからシベリア抑留は、ミュージカル「異国の丘」です。抑留体験を持つ方は一人知っていましたが、その方も亡くなりました。
 佐藤健雄さんは満鉄従業員で、大連で家族と裕福な暮らしをしていたそうです。奥様と5人の子どもさん、健雄さんのお母さんは、新京で1年過ごして、1946年に帰国できました。それこそd0017084_9511777.jpg丸山邦雄さんらの尽力だったのでしょう。佐藤健雄さんは抑留され、帰国したのが1956年というから、敗戦後11年です。何と、私が生まれてからのことです。
 捕虜が母国に手紙を出すことは、国際法上で認められているそうです。抑留が始まって1年以上が過ぎた1946年秋にようやく許されたそうですが、健雄さんのハガキが初めて届いたのは、1952年夏だそうです。生死さえ分からなかったのですから、どれほど嬉しかったことでしょう。
 昨日お腹が不調で思ったのですが、引き揚げとか抑留とか、そんな状況下では、私は絶対に真っ先に死んでしまう、生き残れない弱い部類の人間だなと、確信してしまいました。
 戦争を知る人は本当に少なくなってしまいました。体験者が多くを語りたくないのは、きっとそうなのだとは思います。でも、知らなくてはならないことなのです。
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Commented by 姐さん at 2018-04-26 10:58 x
おなかどうしたんでしょうね
このまま、収まってくれるといいですが

何かあった時は、私も真っ先に天国に行く人だと思っています
基礎体力がない軟弱な人間ですから

硬派の本は、なかなか読み進められず、もっぱら西村京太郎サスペンスばかり読んで、あちこち行った気になっています

でも、話を聞くのは好きですよ
硬派の話( ´ ▽ ` )ノ
Commented by nyankai at 2018-04-26 11:33
★姐さんへ
お腹、ガスが発生しています、危険(^_^;)
苦しい状況で、真っ先に死んでしまうのも、それはそれで良いのですが、守らなければならない存在があれば、強くなれるのかもしれません。
硬派の話、たくさん聞きたいですよね。
by nyankai | 2018-04-26 09:49 | おはなし | Trackback | Comments(2)