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ニャンコ座リポート since 2005 April

歌を歌った~歌を歌った~ (4/15)

 富川合唱団(まだR.R.Singersというニックネームは付いていない)元団長さんの告別式に行ってきました。お通夜に行こうか、告別式に行こうか、本当は地元なのだから両方行けば良いのですが、迷っているうちに、高齢の元団員N谷さんから、告別式に一緒に行ってと頼まれたので、そ歌を歌った~歌を歌った~ (4/15)_d0017084_98106.jpgうしました。
 大学で一応音楽を勉強し、就職して、そこに合唱団があるのなら、入ってやっても良いよとまではうぬぼれてはいませんでしたが、どんなもんかね、位には思っていました。その時の団長さんは、学校にも関わりのある商売をしていて、職員室で、教頭先生がニコニコしながら、「この人、合唱団の団長さんだよ」と紹介してくれたパンチパーマの人が、事の始まりでした。
 合唱団は思ったより、かなり上手でした。パンチパーマさんは、とっても優しく面倒見が良く、誰からも好かれる、そして転勤族ではない、団長にぴったりの人でした。飲み会の日などは、みんなまとめて団長家に泊まったりね。又、すばらしいバリトンで、「フォーレのレクイエムのリベラメ」のソロを歌いもしました。ピアニストと結婚しました。
 今年のごちゃコンで歌う「明日があるさ」の、不肖わたくしニャンカイの替え歌「若い仲間が集まって 歌を歌った 幸せ感じてた」や「週に1度の練習日 なぜか気になるあの人が 誘ってみよう」などは、フィクションではないのです。
歌を歌った~歌を歌った~ (4/15)_d0017084_993379.jpg 団長を次の人に引き継いでから、家業が忙しく、「仕事の責任重くなる 育児も家事も忙しい 歌う暇ない」も現実、何となく足が遠のいて行ったという感じだったのでしょう。40代半ばくらいで病に倒れ、その後遺症と闘う日々になりました。奥さんは、家業とピアノ教室とを切り盛りし、元団長を支え続けました。
 同じ町に住んでいて、たまにスーパー等で奥さんにばったり会うことはありました。でも、去年から一段と病気が重くなっていたとのこと、知りませんでした。最近行ったお葬式の中では、久々に本気で泣けました。奥さん、良くがんばったね。
 告別式で会った懐かしい面々と、今度はこういった場じゃない所で会いたいね・・・それはめったに実現しないことはわかっていますが、なんて事を言いながら、お別れしました。あっちの世界に、団長と一応指揮者のいっちゃんがそろったので、合唱団作っておいてください。後20~30年位経ったら、ぼちぼちそちらに行く人がいますから、ゆっくり待っててね。又一緒に歌いましょう。
 写真は、昭和58年夏(私産前)と、59年春の演奏会(私産後)。この時は、もうパンチパーマではありません。
Commented by 姐さん at 2018-04-15 09:38 x
私の周りでも、さっさと天国に行ってしまう人や、苦しみから解放されて天国でホッと一息ついているであろう人が増えてきました

お通夜や告別式で、その人の人生を思い、お別れしてくるって、大事なことですよね

ご冥福をお祈りします
Commented by nyankai at 2018-04-15 17:27
★姐さんへ
元団長さんは、クモ膜下出血による高次脳機能障害でした。夫も団長さんも、病んだ体から解放されて、きっとのびのびしていると思います。団長さんの奥さんは、看病やりきったと思います。
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by nyankai | 2018-04-15 09:05 | 人 あれこれ | Trackback | Comments(2)