たとえ明日が少しずつ見えてきても (1/14)

第二回プラチナブロガーコンテスト 自由部門
 昨日は何も予定が無く、穏やかなお天気で、そんな日は午後からかえって元気ではなくなります。どうもこうも、要するにこわいのです。申し訳無い程の陽だまりの中で、ダリとゴロゴロして1日が終わってしまいました。それを肯定できない自分のせいかもしれないけれど、d0017084_965847.jpg情けなくなってしまいます。
 今年のごちゃコンで歌う「心の瞳」は、ある子ちゃんが持って来てくれた曲です。私は不覚にも、オモコーで聴くまで知りませんでした。結果的に坂本九の遺作となってしまった曲です。1985年8月12日、羽田健太郎との公開録音があり、九さんは数時間後の飛行機事故で亡くなりました。その後たくさんのカバーやら合唱曲にもアレンジされて、歌い継がれています060.gif
 ファーチレで歌う曲は、どちらかというとどっぷり音に浸れて、追及して行くことが優先なのですが、ごちゃコンの曲はほとんど日本語ですし、義務ではありませんが目指せ暗譜F65A.gifなので、言葉を自分のものにして行く必要が求められます。
 音とりをしているうちは「いつか若さをなくしても心だけは~」あたりで、そうか、この曲は若者の曲ではなく、中高年の曲なのね程度の認識だったのですが、「たとえ明日が少しずつ見えてきても」が気になり始めました。「明日が見える」って良いことではなくて、=「諦め」として使われているんだなと。
d0017084_97288.jpg 明日のことはだれにもわかりはしませんが、私は少なくとも今の状態では、明日は今日よりも体調が良いなどと期待してはいけないし、1年後は今より病気が進行していていることの方が確率高いし、で明日が見える訳です。それを「それは生きてきた足あとがあるからさ」とまとめています。「足あとがあるから見える」のだと。
 同じ場所の2番は「たとえ昨日を懐かしみ振り向いても」「それは歩いてた人生があるだけさ」です。やっぱりもう、私は前を向かなくても良いんだなと許してもらいました。ピアニストは少し私よりも年下ですが、大ざっぱなくくりでは心の瞳世代で、ある子ちゃんとなんちゃってママは、子育て盛りです。これが本当にわかるには、まだ少しかかります。ピアニストと2人で、どの時点で安心したかと話すと、(子供が)結婚した時で一致しました。そうなんですよ。注:ピアニストには、まだ結婚前の子どもさんもいます。
 合唱アレンジは、中学生が歌っているようですが、背伸びした選曲はとても良いと思います。何十年もたってから、あ~、と思える体験は宝物になります。
 でも、いつもそこに行きつくのですが、これらをひっくるめて、「分かちあえる、分かりあえる」パートナー(君)を心の瞳で見つめる歌なので、君がすでにいない私はとても寂しくなるのです。
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by nyankai | 2018-01-14 09:04 | 音楽(合唱) | Trackback | Comments(0)