2016年 03月 14日
あ~ キース (3/14)
高校生の頃かなぁ、テレビで、ハモンドに乗っかったり跳び越したり、ナイフを突き刺したり、下敷きになったり、とんでもない人がいるんだわと思ったっけ。そんなことしなくたって、十分にハンサムでかっこ良くて、上手いのにね。
そこから生まれる音楽は、クラッシックが好きな私には、ワクワクするものでした。3人の中では、グレック・レイクの抒情的な音楽(詞も声も)に引き込まれてはいましたが、キースあってのものであるのはわかっていました。ELP後半、彼らも迷い苦しんだのかもしれませんが、「海賊」も「ピアノコンチェルト」も、名曲だと思います。
彼らが中年になって、再結成した時は、狂喜乱舞の心もちでした。グレッグの声は、衰えましたが、ようやく彼らの生を聴きに行ける時が来た仕方ないから、小学生の息子も連れて行きました。キースは、相変わらず、ハモンドと闘ってくれていました。息子はそれほど興味を持っているとは思えませんでしたが「子供の頃に両親がファンで価値を知らずに生で見たが、プロレス芝居時代、新日本プロレスのテーマは毎回使ってたし、ゴヅラも伊福部版じゃなくキースバージョンを使いだして、価値に気づいたのであった」などとつぶやいていました。
大河ドラマ「平清盛」(2012年)の音楽に「タルカス」が流れた時は夢のようで、もうひっくり返りそうに嬉しかったです。オーケストラアレンジした、吉松隆さんのサイトです→ここの12日と14日の日記をどうぞ。
キースが、震災のために弾いてくれた"The Land Of Rising Sun" 「日出ずる国へ...」は→ここ です。3月11日に亡くなったなんて。
「キース・エマーソン・インタビューズ」(1992年)という本を持っています。冒頭に、What is this life if full of care we have no time to stand and stare.って書いてある。しばらく、ELP聴きまくりでもしましょうか。
Keith Noel Emerson 1944年11月2日、イギリス生まれ、享年71歳 合掌
昨日は、キースも大好きだったはずのバッハをたくさん歌いました。楽譜はできるだけ左手で持たないよう気を付けたし、重いバッグを左肩にかけないで行ってきました。でも夜になるとやっぱり左腕はだるさが増しました。ファーチレのメンバーの一人に「息子さんの劇団、新聞に載っていましたね。でも似てないですね」って、あれは息子ではない、看板役者の髭ちゃんです。マコは〇
長い間、わたしを楽しませてくれてありがとうございます。
ギーガーのイラストをはじめて認識したのは、恐怖の頭脳改革でした。
Rest in peace.