2016年 03月 12日
一緒に泣いてやれば良かった 私の3.11 (3/12)
歌友と、久々におしゃべりして、帰途に着くと、まだレディースクリニックに間にあうことに気づき、苫小牧に回った。診察の予約はしていなかったが、頼んでみた。看護師が話を聞いてくれたが、プラセンタを多目にして、とりあえず軽減されるか様子見になった。ここでもやはり、股関節犯人説が有力になった。そして、12日朝、軽減されてはいないな。
点滴中暇だったので、息子のツィッターを見ると、飛行機に乗りこんだら、涙が込み上げて、隣の人から「大丈夫ですか」と言われたこと、機上で5年目を迎え、今回は笑の内閣史上2番目の失敗だったけれど、1番の失敗は5年前の福岡公演。ちょうど6日日曜が千秋楽、7日の観光も欝欝も一緒で、11日金曜に震災で決定的に欝になった、今年は何もないから明るく帰れるはずなどと書いてあった。
劇団のことに直接踏み込まないよう、口出ししないようにしてきた。帰省すると、頼りなくだらしない息子なので、つい小言を言ったりする。息子は「1人にしておいて」などと言うタイプではなく「あ~、辛い辛い」とわめいているから、受け流すように、いつものように接した。というより、私の体調が良くなくて、8日には自分のコンサートがあってそれどころではなく、まあまあうまくいったものだから悪い気もしておらず、息子の辛さに対して、真剣に向き合っていなかった気がしてならない。息子の辛さは、少なくとも理解しているはずなのに。
帰りの車の中で、ラジオを入れると、震災の番組が流れた。飛行機の中で涙を流した息子を思った瞬間、私が泣けてきた。バカだった、一緒に泣いてやれば良かった。
途中で次の作品のための取材をしてから、京都に帰宅した息子のツィッターには「10日間やさぐれていた私を優しく出迎え、すべての嫌な事を全部聞いて、劇団のメンバーやネットに書く前に私に言いなさいという妻。素晴らしい妻だ。素晴らし過ぎる。」お見事Yちゃん。すばらし過ぎる。5年前と今が決定的に違うのは、Yちゃんの存在だった。母より妻、それで良い。安心した。マコは〇