2015年 10月 23日
知らぬ間に「学芸会」復活 (10/23)
私は筋金入りの、文化系なので、この体育会系に比べて冷遇されている状況に、大変不満でした。ところが、ところがです。今年になって気付いたのですが、ブロガー仲間の文章や種々つぶやきに「学芸会」と書かれてあり、知らないの~、学習発表会でしょうが、しゃあないなぁ・・・と、初めは思ったのです。でも、小学校の先生をしている歌友のに「今日は学芸会でした。」と書いてあったのを見て、世の中は、学芸会に戻っているんだ、知らないのは私の方だった、とショックでした。
私としては、学芸会の方が好きなので、戻ったのならそれで良いです。そう言えば、私の出身校教育大学も、昔は学芸大学と言う名前だったみたいです。「芸」が、芸術なのか、芸能なのか、演芸、芸事なのかはわかりませんが、私は芸術だと思っています。
文化系女子の私は、学芸会は、血沸き肉躍るイベントでした。その数週間前から、非日常の世界になるのですから。特に低学年の時は、暗幕を張って照明をしている会場そのものに興奮し、高学年の劇やダンスに、猛烈に憧れました。今冷静に考えても、レベルは高かったです。学校には、今よりずっとゆとりがあり、先生たちもバカが付く位打ち込むことができたのです。クリアファイルごときを指摘するような、行政や政権は存在しませんから。
私の教員時代は、おもに音楽専科だったので、音楽の担当が多く、音楽が好きでも無い子たちをその気にさせるのは楽ではありませんでしたが、一生懸命やり切った記憶はあります。同年代の先生と組んでやった、総合劇「母さんの歌」は、一生の思い出です。今だったら、あんな反戦物と、問題になるとか
退職してからも、いっちゃんの手伝いをたくさんしました。いっちゃんの手がける劇は、衣装や小道具がすばらしいと評判で、鼻高々でした。息子も学芸会では、スターでした。ピアノがちょっとだけ弾けたし、何と言っても劇では、群を抜いていましたから。親ばか全開、せせら笑って読み飛ばしてください。
そうそう、呼び方が、学習発表会から学芸会に戻った話でした。マコは〇
あれだけ良く出歩いていた、姉上と姉様は、今は事情があってなかなか遊べないのですが、昨日久々に3人でお茶できました。話題の中心がどこそこが痛い話とか、トホホではありましたが。BGMカフェに行って、栗の渋皮煮と薪ストーブで焼いた焼き芋をいただきました。家でカボチャを食べたので、これでイモクリナンキン、完璧
ち〇子ちゃんが、あちらのパンプキン市の様子の写真を送ってくれました。値段は、割と想定内ですね。
学芸会は大人数でやって、大勢に見られるし…あんまり積極的でなかったのに
このおたのしみ会の方は毎回自分は仲間とコントをやって台本を考えるのが好きでした。
刀が必要だと新聞紙丸めてビニールテープで巻いただけだと叩いて「ポコっ」と音が出ないので細工を考えたり、スベる怖さを知らない頃で案外ウケてて…
先生から「なぜ学芸会は真面目にやらないの?」と聞かれ「見る人多いとあがっちゃう」と言ってましたが、でも真面目な子が頑張るのが学芸会という感じであまり劣等生?が入っていけなかったのかもしれません。そちらは…いつもカキワリ担当で楽しんではいましたけどね。
勝手に想い出話でスミマセン
はい、「お楽しみ会」ってありました。公開するものではないし、クラス単位かせいぜい学年単位だったので、子供たちに任せても良い感がありました。toshixさんのコント、見たかったですねぇ。
私自身の子供の頃は、まだそこまではいってなかったように思いますが、担任の先生が家庭科室で炊き込みご飯炊いてくれたり、ケーキを買ってくれたり(たぶん、クリスマスお楽しみ会だったのでしょう}したのを覚えています。
思い出話って、かなりおもしろいですね。