2014年 03月 06日
年収200万円分の幸せ (3/6 啓蟄)
つぶやきに、(今回の「ツレウヨ」公演に関して)「まともに就職してりゃ、年収にして200万くらいは違ったんだから、年収低い分、これくらい幸せな気分味わっても良いわな。最高に幸せだが、200万払ってまで味あわなあかん幸せかは微妙だ。」と書いてありました。
その通り。親としては、演劇など趣味にして、堅気(という言葉をあえて使います)の生活をしてほしいと思うのは当たり前です。ちゃんとした収入を得て、Yちゃんと安定した暮らしをしてほしいです。その部分と200万を秤にかけたら、どうなのでしょう。30歳のいっちゃんは、すでに子持ちの公務員でしたからね。
今の息子がやっていることが、趣味なんて甘っちょろいレベルではないことは、良くわかっている。そしてもう絶対堅気になれないことは、もっとはっきりしています。誰より、息子自身が感じているでしょう。ただ、これで良いの?と、いっちゃんに聞きたいと、いつも思っています。
なのになぜ、そんなことをつぶやいたかって。それも簡単。まぎれも無く、本音の片隅にあるからです。やりたいことがたとえ明確でも、迷わないなど、かえっておかしいです。
ニャンコ座来館者のほとんどの皆さんには、どうでもいいことですが、「ツレウヨ」の感想→ここ を読むと、難しいことを考える人がけっこういるってこと、想像もできない受け取り方があるのだということ、それらを謙虚に受け止めますと思うか、考えすぎだよと受け流すか、少しだけ考えてしまいます。どなたかが書いていた「ソーリがウヨになりまして。」に笑ったよ。
息子、今度は朝日新聞京都版の取材を受けたそうで、しゃべり倒してきたそうです。知名度や注目度は上がってきているんだけどなぁ。後は、仕事のオファーが来ることだけなんだけどなぁ。すいませ~ん、いつもの親ばかで。でも、どんなことがあっても、黒を白と言い張っても、子どもの味方であることを親ばかと、私は解釈しています。
写真は、ニャンコ座物置き前のふきのとう。これくらいが食べるとおいしいそうです。食べましょう。