2014年 02月 11日
七回忌に (2/11 命日)
今年は、もうすぐ息子には会えますが、とりあえず、仏教で言う所の七回忌を迎えます。昨日いきいきから帰って、お花を買い求め、お団子を作って、お仏壇もどきをきれいにしました。ニャンコ座を読んでくださっている皆様におかれましては、今年はきっと、もう女々しいことは書かないだろうと期待してくれているかもしれませんが、残念でした。辛くて悲しかったことからは、絶対に立ち直らないと決めています。だってさ、私が覚えていなくて、誰がしてくれるの?忘れてしまったら、いっちゃんがかわいそうでしょ。時が、悲しみを消してくれるなんて、本気で思っている人がいたら、バカじゃない?まだ3秒で泣けることに変わりは無いんだから。と言うくらいの余裕はできたのですが。
リンクしているブログからです。とある(人気あるらしい)病気ドラマ(私は治らない病気ドラマは見られない)の中で、「カチカチカチ」と「時間がない」事を演出する音、「嫌らしい事するな…」と思ってしまう。だそうです。私はそのドラマを見ていませんが、そうそう、と膝を打ちました。
いっちゃんがきつい治療をして、退院して、ちょっとだけ落ち着いていたほんの少しの間から、又心臓が悪くなったのがわかった時に、止まっていた振り子が、悪い方にブン!と振れる様が、視覚的にイメージできてしまいました。それが幾度も見えて、そのたびに目をつぶって、追い払おうと必死になりました。又、父は癌で亡くなったのですが、母は父の病気が進行することを、水道の蛇口からポタポタ水滴が落ちる様として、感じたそうです。ふとした時に、その悪魔の振り子は、まだありありと見えるんですよ。母はもしかしてその後も、蛇口のしずくが苦手だったかもしれません。
同じく、ご主人を亡くした知人が「死んだ人は忘れられていくもの。はかなさを感じる。」と言っていました。続けて「元々苦しいものを楽しいものに変えてゆく、それが人生なのかもしれませんね。」だとしたら、悪魔の振り子を宿したまま、良い思い出に昇華することができた時、私の人生は完成なのかもしれません。
忘れない君の命が尽きた日を
今夜は泣こう泣いてやるとも
札幌公演、予約がはかばかしくなく、このままでは、以降札幌撤退になりそうです。これからも北の大地で「笑の内閣」を観たかったら、どうぞ、たくさん来てやってください→ここ