2012年 11月 19日
なぜ泣けたのかを考えてみた (11/19)
今日のブログは、ずい分長いこと寝かせた文章です。ちょっとプロのエッセイみたいなタイトルでしょ。書き始めた時は、心の振り子が左右に振りきれそうだったので、落ち着かせながら推敲することが必要と思い、日数が経ちました。と、前置きがくどくなりましたね、失敬。以下。
私には、いっちゃんと同じ病気を患ったご本人や、そのご家族など数人の友達がいて、ありがたい交流をさせていただいています。その中の一人が、この間検診を受けて、結果をご自分のブログに書いていました。
この病気は、今の所「完治」には至らないのですが、その方はちゃんと生きています。仕事をして、笑い、怒り、へこみ、食べ、人と話し、映画を見て・・・もっとも直接会ったことはないのですが、おそらく私たちが普通に生きているように、生きているのだと思います。私は、その人の心の内をわかるなどと言うつもりはありませんが、同士ですから、いくらか理解の余地があるかもしれません。
結果報告は、臨場感あふれて、それでいて深刻に陥らず、冷静で、時にユーモアさえ交えて書かれていました。たった4年半ちょっとで私の知識は古くなっていたり、一方忘れ去ってしまいたい気持ちもあり、専門用語などはとっさにわからないのもありましたが、読み進めるのはドキドキして手に汗握る感覚でした。一緒に結果を聞く家族の様な気分になったのです。
祈るような気持も織り交ぜ、最後まで読み終わった瞬間に、涙がこみ上げました。今年は泣くことを減らそうと思い、実際にけっこう上手くいっていると思っていたので、この涙には、自分でうろたえました。いったい、何の涙なんだ?ハラハラした末の安堵、そうだ、素直にまずそれでした。良かった、良かったね、本当に良かった。でも次に思ったのは、私もこんなブログを書きたかった。いっちゃんが検診を受けて、こんな風に結果を書きたかった。どうしてこの果てしないかもしれない、決して楽でもないけど、でも生き続ける闘い(って言葉がふさわしいのかどうか)の中に、いっちゃんはいないんだろうかという、口惜しさでした。
なんてことを、分析してみたんです。そして、これで良いのだ!と思いました。
今存在していない「先輩たち」の事も、nyankaiさんや、他にもご家族からも聞いて自分の中ではつながりを感じるように「存在」していて
でも…自分と接してくれた人とは同じように検診結果をハラハラ聞いたりしましたが、とても体調が悪くなられたりすると…その先を知りたくないというか…自分に重ねる恐怖が走って
「俺は自分の事ばかりか」と自己嫌悪にもなりますが、でもそれも正直な気持ちなんだ…とも思ったり
また連絡があるとものすご〜く安堵したり…
やりとりしている人が口には出さない「それまで」をどんな気持ちで生きるのか、どんな気持ちで終わりを意識していくのか…「解らないままでいいのか」とも思ったりします。
「今、終わりを意識する事はないか」と意識する若干の不自然さはありますが「あれもこれもダメなんだ」と思っていた事も「これはここまでならできるかな」にする立場にはいるんだよな…と、
リアルには考えられなかったバイク熱再燃も、きっとそんなひとつですね。
返信、ちゃんと読めましたよ。ありがとうございます。
ホテルのラウンジでディナーショーをする美しい歌姫が、数日後には漬物つける、でもデジタルについていけない(私も同じです)・・・そこがとっても mizueさんのすてきな所です。
★toshixさんへ
読んでくれてありがとう。
toshixさんが気分を害したら困るなぁと思いながら書きました。
私も、本当の気持ちは、自分でもわからないような気もします。
今は存在していない人たちが、どういう願いを残して死んでいったか、それを忘れないことが、私たちができることなのかな。
ミクシイコミュの人たちの事も気になるのですが、普段は忘れていたかったり。
私が当事者ではないのでが、私はかえって誰にでも訪れる「終わり」を意識するようになりました。仕方ないから、準備なんてしないもん、今やりたい事をやってやるんだって。
バイク、ぜひ手に入れてください。