2012年 07月 25日
暇はゆとりか? (7/25)
理由は、そこそこあるのです。でも通奏低音のごとく鳴り続けているのは、こんなにややこしく考えてしまうのは、おそらく私が暇だからなんじゃないだろうか。いえ、決して、やることが無くて暇なのではないのですが、家族のための家事や生計を立てるための仕事が無いから、時間の裁量は全く私自身にゆだねられているという意味で。
住むところがあり、ぜいたくさえしなければ、おそらく一生暮らしていけて、という生活。息子を含めて、たくさんの人たちが、生きるために必死なのに、私は仕事もせず、好きなことをやっているのに、いったい何が不満なのかと、それが負い目にさえなっているのです。ほら、良く、容姿に恵まれた人が言うセリフ「もてるでしょうと言われますが、とんでもないです。それがコンプレックスで・・・」あれに近いものです(あくまで想像ですが)。
今日一日が楽しいものであれば良い、そう思います。でも、友達と会って、食べてしゃべって笑って気楽に歌って、友達は帰るべき所に帰ってしまう。それだけでは嫌だ。そうか、私まだ何かしたいんだ。ちょっと困難でも、苦しいなと感じても、きっと何かしたいんだ。だけど、微妙な年齢だよね。年齢のせいにするなって?そうです。でも、若ければ、夢の実現のために歯を食いしばってがんばれ!だけど。
私、いったい何をやりたいんだろう。やだ~、まるで若者みたいなものの言い様。
知人が言ってくれました。「暇、それは、ゆとりがあるということ。臆したり遠慮したりせず堂々と甘んじて良いと思う。家やお金は、亡くなられたご主人の愛情なのだから、今の環境を素直に受け入れる事が、亡きご主人に対する愛情だと思う。」と。
本日の電気予備率は、26.0%で緑です。学校は、そろそろ夏休みでしょうか。
息子のインタビューです。けっこうおもしろいです。暇な方、ゆとりのある方どうぞ→ここ
自分が誰かに必要とされている実感・・・これが人には大事なことなのではないかとも思っています♪
そして誰かに必要とされていない人はいないと思います(^_^)
もてる人をたとえに出す・・・自分大好きなニャンカイさんらしいですねヽ(^o^)丿
誰かが脱ぎ散らかした靴下を叱りながら
片付けていた、あの頃が一番幸せだった。
数年前に見たドラマですが、とても印象に残っています。ボランティアに参加するのもいいものですよ。
そうなんです。誰かのために生きる実感がほしいんです。仕事を辞めてから、ず~っと感じています。仕事を辞めた時は、ゆとりがほしいと思っていたかもしれない(・_・;)
★シェフレさんへ
その幸せがわかるのって、過ぎてからなのかもしれません。
私は、創造的なことがしたい。
ありがとうございます。
なべさん、そうです。なべさんなら、何と書いてくれるでしょう。