2011年 12月 09日
杉田さんのバイオリンで送った伯父 (12/8)
末期の胃がんで、胃がふさがってしまっていたという伯父が、伯母の後を追うように、旅立ってしまいました。ちょっと頭が混乱しましたが、予定通り行ってきました。
このコンサートの主催は「日高1004人の会」と言います。元静内町にあった文化センターの座席数が1004席、そこをいっぱいにしようという、音楽愛好者が、コンサートなどの招致をするために、1992年に旗揚げしたグループです。特筆できるのは「プラハ放送交響楽団」と「ダン・タイソン」の公演でした。
2003年9月の十勝沖地震で、文化センターが壊れてしまい、再建のめどが立たず、その後は公民館に活動拠点を移して活動してきましたが、会員の減少もあり、昨日のコンサートを最後に、解散しました。
ラスト・コンサートだったので、どうしても行きたかったし、別に昨日私が音楽を聴くことをやめても、伯父が喜んでくれる訳は無いしね。
杉田さんは、とっても(息子の言う)客いじりの上手い、気さくな方のようでした。客席まで歩いて来て、演奏してくださいました。「愛のあいさつ」「G線上のアリア」「ニュー・シネマ・パラダイス」「クリスマスメドレー」「愛燦々」等、ちょっと弱っている私の心をいつくしんでくれました。まるで、伯父を送ってくれているかのように聞こえました。
Ⅱステージの杉田さんは、虹色のドレスでした。あまりのカラフルさに、会場からは「ハ~ッ」というため息が。それに杉田さん「地味でしたか?」。会場、笑。
コンサートの後、伯父に会いに行きました。少しの時間ですが、ご家族と話をしてきました。帰って車を降りると、キーンと冷えた冬空の星々は、息を飲む美しさでした。
土曜日の文ちゃんライヴと、日曜日の「卑弥呼」は行けなくなりました。これも、何か意味があるのかもしれません。