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ニャンコ座リポート since 2005 April

杉田さんのバイオリンで送った伯父 (12/8)

12月には、ライヴやコンサートのスケジュールを、いっぱい入れましたが、伯母が逝ってしまい、そして伯父のことが心に張り付いて、それでもお天気の心配もなさそうなので、昨日の夜は「杉田知子さんのバイオリンの夕べ」に行こう、伯父の入院している町なのだから、コンサートの前に、伯父に会って行こうと決めて、年賀状作りを始めた午後、その知らせは来てしまいました。
末期の胃がんで、胃がふさがってしまっていたという伯父が、伯母の後を追うように、旅立ってしまいました。ちょっと頭が混乱しましたが、予定通り行ってきました。
杉田さんのバイオリンで送った伯父 (12/8)_d0017084_925736.jpgこのコンサートの主催は「日高1004人の会」と言います。元静内町にあった文化センターの座席数が1004席、そこをいっぱいにしようという、音楽愛好者が、コンサートなどの招致をするために、1992年に旗揚げしたグループです。特筆できるのは「プラハ放送交響楽団」と「ダン・タイソン」の公演でした。
2003年9月の十勝沖地震で、文化センターが壊れてしまい、再建のめどが立たず、その後は公民館に活動拠点を移して活動してきましたが、会員の減少もあり、昨日のコンサートを最後に、解散しました。
ラスト・コンサートだったので、どうしても行きたかったし、別に昨日私が音楽を聴くことをやめても、伯父が喜んでくれる訳は無いしね。
杉田さんは、とっても(息子の言う)客いじりの上手い、気さくな方のようでした。客席まで歩いて来て、演奏してくださいました。「愛のあいさつ」「G線上のアリア」「ニュー・シネマ・パラダイス」「クリスマスメドレー」「愛燦々」等、ちょっと弱っている私の心をいつくしんでくれました。まるで、伯父を送ってくれているかのように聞こえました。
Ⅱステージの杉田さんは、虹色のドレスでした。あまりのカラフルさに、会場からは「ハ~ッ」というため息が。それに杉田さん「地味でしたか?」。会場、笑。
コンサートの後、伯父に会いに行きました。少しの時間ですが、ご家族と話をしてきました。帰って車を降りると、キーンと冷えた冬空の星々は、息を飲む美しさでした。
土曜日の文ちゃんライヴと、日曜日の「卑弥呼」は行けなくなりました。これも、何か意味があるのかもしれません。
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by nyankai | 2011-12-09 09:24 | 音楽(合唱) | Trackback | Comments(0)