2011年 07月 25日
委ねたいほどに追い詰められていないのか (7/25)
ソウル大学音楽科出身、韓国CCMの草分け的存在、シンガーソングライターの「チェ・ドクシン(崔徳信)」さんです。外見は、韓流スターおじさんです、20年後の王子様風です。甘いイケメン、長めの髪、ちょっと色ついた眼鏡、けっこう好みね。ちぇっ・・・独身、かどうかは知りません
曲目はすべて、ご本人のオリジナルもしくは、知人の詩に作曲したもの。子ども時代を札幌で過ごされたとかで、日本語が堪能で、歌もトークも日本語でした。
歌は、親しみやすいポップ調、バラードを切々と歌い上げると、歌詞の内容を知らなければ、ラヴソング熱唱という雰囲気です。クリスチャンではない、一般的日本人は、ゴスペルというと、「天使にラヴソング」みたいな、ゴスペル調のアレンジしか思い浮かばないのですが、ゴスペル=福音ですから、どんなメロディーであろうと、どんな形で歌おうと、ゴスペルなんですよね。歌そのものよりも、信者の人たちが歌に対して、(たぶん)心から「アーメン」とか「ハレルヤ」とか反応することに、ちょっとばかり場違いな所に来ているかもしれない、申し訳なさのような気持ちが湧いたりしました。
私は全く信者ではありませんし、どちらかというと、苦手なくせに科学的に物事を考えたいので、あまりに正攻法で来られると反発してしまうのですが、このコンサートは良かったです。ご自身の悩んだ経験などを、ユーモアを交えて話したドクシンさんのお人柄なのか、親しみやすい曲調のせいなのか。
人はどうしようもなく追い詰められたら、神に委ねれば良いって・・・、うん?ってことは、私は本当に追い詰められたことはまだ無いってこと?神に委ねるって、自分で苦しまなくって良いならばそんな楽なことは無い、いや、答えが出るまで何年もかかったというから、そんな甘いことではあるまい。何年もかかって、自分で辿りついたってことではないのですか?神様は、試練を与えるって言うけどさ、今回の震災などは、ひどすぎるでしょ。おかしいよ。
多くの日本人が感じる「八百万の神様」と唯一絶対の神様の違い、唯一絶対では、他者を否定してしまうでしょ、私も楽にはなりたいけれど、今はそのために勉強する気にもなれないし、祈りなさいと言われてもね。等々、相変わらずいつもと同じことを考えましたが、不思議と気分はほんわかするコンサートなのでした。
それにしても、やっぱりまだ神に委ねるほどには私は追い詰められていないと解釈するのは・・・それも不本意だなぁ。
それにしても、キリスト教は日常生活の中で、
楽しみながら実践することが色々とありますよね。
仏教にも、ゴスペルやナルニア物語みたいなものが
ないかぁな~。
そちらの花火にも行きたかったのですがぁ。
そうですね、教会は外に向かって開かれていますねぇ。
観光地だからな、京都では神社仏閣は基本解放されていて(お金取る所は多いけど)お寺でのコンサートなどが、けっこうあります。寂聴さんは人気がありすぎて、事前申し込みが必要ですが、いつか行きたいと思っています。