2011年 04月 20日
空っぽの息子 (4/20)
息子は相変わらずうつっぽくて、何をする気力も無いらしいです。つまり私が起きているかを確かめたにもかかわらず、電話をかけることがおっくうだったのですって。
直接には、思ったような脚本が書けなかったことから始まったうつ状態ですが、不本意な本のままの福岡公演が、動員の面でも大失敗で、本は少しずつ手直しされて、京都公演はそこそこではあったものの、これですべて解決にはならないのです。
このままでは甘えてしまうからと、かっこ良く(?)バーの仕事を辞めたものの、就活する意欲は全く湧かず、ようやく一か所受けた面接もだめだったようで、演劇に対して、仕事に対して、生きることに対して、大きな節目に立っているのでしょうね。息子は今までは、1日24時間の内、22時間は楽しかったそうだから、普通の27歳はさぁ、そんなに楽しいばかりじゃないんじゃない?なんて、慰めにもならないことを言ってみましたが、元気づける言葉としては無力です。
息子は「何だか空っぽなんだよね。」と言いました。そう、空っぽってわかる。空っぽって、心がでしょうが、空っぽの体という方が、実感に近いのではないでしょうか。いっちゃんがいなくなってしばらくは、今考えたら痛々しいくらいに必死でした。気が付いたら、空っぽの体が残されていると感じました。ぬくもりは取り戻せません。何か新しい物で満たすしかないんだと、おぼろげに感じていました。誰かに満たしてもらいたくて、おかしくなりそうでした。
息子はたまに書いている日記もつぶやきもまともだし、先のことも書いているからきっと大丈夫でしょう。数日前のつぶやきに、こんなのがありました。
私は結婚願望があまりないけど、結婚するなら西部講堂でやる。あそこは金がかならないので祝儀でぼろ儲け。司会は本宿、仲人はバーの店長かマサホ市議。途中で高田が乱入し花嫁を奪って、出たがりの母がバックミュージックを歌う中で、はじめての共同作業がプロレス・・・それ良いね、脚色して公演しようよ、ミュージカルね
そう言えば「からっぽやみ(空っぽ闇)」という言葉がありますが、北海道弁で「ぼんやりしていること。 めんどう臭がり。怠け者」だそうです。いや、意味深いね。その空っぽの息子、お金無いくせに、昨夜ダルビッシュ観に「ほっともっとフィールド神戸」に行ってたなんて、ずるい。息子と野球行きたい。
ニャンコ座のハイビスカス、1度に5輪咲きました。5輪はけっこう珍しい。1つの花は、朝咲いて翌日の午後にしばんでいく、1日半しかもたないですから。
どう乗り越えるか!ですよね。
サラリーマンで息詰まるうちの息子。
やりたい事してても空っぽになるご子息。
何をしてても晴れたり曇ったりするのですねぇ!
そうなるとやはり個人の問題ですね。
自分の心と向き合う。気持ちを整理する。
大丈夫!・・・とは思いつつも・・・ねぇ(^_^;)
「何かあったら言ってきなね!」
ですかねぇ??
息子さんもいいきっかけが訪れるといいですね。気分転換に思い切って全然畑違いのバレーでもしますか?付き合いますよ(^_-)-☆
いつも共感してくれて、ありがとうございます。
どんな状況にいても、苦しい時はあるものなのにね。
「何かあったら言ってきなね!」、本当にそれしかできないですよね。
★みみこさんへ
気にしてくれて、ありがとうございます。
心配してくれている人がたくさんいるってことを、しっかり息子に伝えます。
バレー・・・良いかも。下手ですよ、息子!
★こけしさんへ
これでも一応、母親業もやってるんで(^_^;)
「空っぽなんだ」と言える人が身内にいるというのは
本人が気付かずとも本当の「空っぽ」にはなっていないんじゃないかと
本当にその…危ない感じの「抜け殻」になると
友人にも身内にも愚痴すらも出せなくなりますから…
一線を超えてしまった友人はそんな感じでした。
時と場合によっては一度空っぽになった空白の時期が
次にジャンプするためのかがみこみになる場合もあるし
自分も学生時代のハイテンション生活から
本業で働き始めてコテンパンにやっつけられた後
そういう時間はありましたからね。
自分の場合はその後ジャンプまではできなかったけどw
まぁ低めの壁は超えたのかなぁ…
こればかりは手の差し伸べようがないでしょうけど
「言える親子関係」である事だけでも素晴らしいのではないか…と。
じいさんばあさんは「このからっぽやみ!」が口癖でした。