2009年 10月 06日
お葬式の心配 (10/6)
少し前の新聞記事に「葬式の心配」という記事(「ひろさちやのほどほど人生論」)がありました。結論は「自分の葬式の心配をする必要はない」でした。ひろさんは宗教評論家であり、仏教を信仰されているので、自分は死んだ瞬間にお浄土に迎えてもらえるのだから、本人にとっては葬式なんて関係無いそうで。
私は、夫が「戒名いらない」「無宗教で」と言っていたことや、お経ではなくて合唱曲で送りたかったことから、希望を叶えてやれなくて申し訳ないと思っています。できるなら、お葬式をやり直したいなんて思ってもいます。でも、確かに、死んでしまった者にとって、お葬式なんてどうでも良いのかもしれません。夫も死んだら「いなくなるだけ」と言っていたし。私自身の気持ちを、納得させたいだけなのでしょう、たぶん。これからどうしていこうか、ゆっくり考えていきます。
私は「旅立ちノート」に、すべて息子の良いように、という大原則だけ書いています。悔しいけれれど、自分で自分のお葬式はできないのです。いえ、本心を言うと、私は自己愛が強いので、「生前葬」をしたいです。会いたい人達を集めて、おいしい物を食べて、飲みながら、私を褒め称えてもらうのです。「じゃ、みなさん、いつになるか私にもわかりませんが、今言っておきます。ありがとう、楽しかった、バイバイ、そのうち夫の所に行きます。」と言います。良いよねぇ、これ。でも、いつするかが、大問題です。
今朝になって、又、訃報が飛び込んできました。
写真は内容とは何の関係もありませんが、アイルランドから来た手紙(とダリの足)です。