2009年 09月 27日
9月26日のコラム (9/27)
9月26日付け、苫小牧民報コラム「ゆのみ」です。
白い花になりたいことがあるわたし
「White is the colour of sweet true love Oh, the colour of our love」 って、何の歌詞かわかりますか。
北海道のガーデニングはそろそろ終盤で、後片付けやら、来年のための冬の準備やらに追われます。わたしも分不相応に広い庭と、連日格闘しています。
家の周りを花やハーブや果物や木の実でいっぱいにするのが、夫とわたしの夢でした。そのために広い土地を手に入れ、木いちごを植えたり、素人仕事で柵を作ったりしました。夫の休みの日は、ガーデニング三昧でした。それもたった半年で終わり、病に倒れた夫は、去年の二月に逝きました。
広い土地に一人残されたわたしは、いったい何を目指していたのか、夫がいなくなって、何のためのガーデニングなのか、果てしない時間と空間の前で、途方に暮れました。
年の秋の終わり、全く生きる意味がわからなくなっていたわたしがふと思いついたのは、夫のメモリアルホワイトガーデンを作ることでした。庭の一区画を使って、白い花や白っぽい葉っぱの植物を植え込んでいくのです。ただ黙々と働きました。オブジェの流木には、「私は祈る 私はここにいる」と書きました。ここにいるのは夫なのか、それともここで生きていくというわたし自身の決意表明なのか、自分でも良くわかりません。たぶん両方だと思います。
歌詞は「白い色は恋人の色」です。日本語の歌いだしは、「花びらの白い色は 恋人の色」でした。その花びらは、ふるさとに咲く白百合です。わたしはホワイトガーデンに立つと、自分が白百合になって、庭の一部になってしまいたいと思うことがあります。
写真は、ホワイトガーデンに咲いている「朝顔」です。ブルーが入った大輪で、とてもきれいです。
やっとイギリスの生活も落ち着き始めました。
実家の母も父を失い生きる意味がわからなくなってしまい
大分元気になったものの、今もまだ外を出歩くことが
あまり出来ない状態です。
それでも庭の世話だけはせっせとしています。
ニャンカイさんの旦那さまと同様に、父も庭を愛していたんですね。
庭の一部になってしまいたい、、、やさしい表現です。
ニャンカイさんも白い花のようです。
涙が流れます。
落ち着きましたか。沖縄にい行ったのですもの、帰ったら寒いですよね。北海道も、朝晩は10℃を切るようになりました。
今も、生きる意味なんてわかりません。でも、生きるしかないし。
お母様と、友達になりたいですね。
★シェフレさんへ
今回のコラムは、ちょっと湿っぽかったかなぁ、と思っています。次回は少しはじけようか・・・
すいません、私がもらい泣き(T_T)
全く生きる意味がわからなくなっていた時に、
広い庭をいじる目的が出来たことはいいことだと思うよ。
今も、意味なんてわかりませんよ。
子供の頃から、ふとした時に思いました。
きっと誰もそういうことありますよね。
母のホームからの帰り道も思います。
自分が生かされている意味。
ほんの少しでも今のこの時に
私が居た方がいいんだろって思うことにしてますけど。
ってめっちゃ軽く生きてますけど(笑)
nyankaiさんは今この時に必要な人なのよ。
今も、なんで生きているのかは、全然わかりません。でも四六時中考えているのでもありません。
腑に落ちる時が、いつか来ると良いなと思っています。