2008年 02月 24日
1年前の今日は
抗がん剤を使ったので、髪の毛がほとんど無くなっていたのを、お義母さんが痛々しいと感じたらかわいそうなので、私の手作りの絹の頭巾をかぶって、軟らかい表情で写真に納まっています。でも撮影の時は、立っているのさえ辛かったのだそうです。
お式の後、私たちと両親と妹さんの家族で、食事をしました。その時だけ腎不全の食事制限をはずして、おいしそうに幸せそうに食べていたのを思い出します。
1年前と言えば、命日になってしまった11日は、去年キタラで「マタイ受難曲」を歌った日でした。参加を迷っていた私に、夫は何としても出なさいと背中を押してくれました。そして、自分は最前列でじっと聴いてくれていました。さらに前年、7月には東京で、8月には仁木で、一緒にステージに立った曲です。退院して、車椅子ででも歌いたいと言っていたほどだもの、残念だったろうな。
改めて「マタイ」を聴き、その歌詞を読んでみると、おしまいの方はそのまま夫に捧げたい内容です。去年の2月11日の6時過ぎ、ラストに差し掛かる頃を思い出し、夫は病院のベッドの上で聴いていたのかもしれません。「眠らせたまえ~」と。
去年の2月は、自宅療養しているいっちゃんと、24時間べったり過ごしていました。きびしい治療を乗り越え、血液検査の数値も若干良い方に向かっていて、辛い1年半の闘病生活の中では、心休まる一時期でした。
後ろを振り返って、振り返って、思い出して、なつかしんで、もうそんな日々は帰って来ないことを思い知って、そんなことを何度も繰り返してみる。それでも、いっちゃんがいないということが、今でもうそみたいに思う。受話器をとれば、いっちゃんの声が聞けそうな気がする。「モシモシ、ハイです。」って。「いっちゃん、今題名のない音楽会見た?おもしろかったよねぇ~(^^♪」
にゃんかいさんの身体が心配、しっかり食べて元気になって欲しいです。