2008年 01月 30日
息子が京都に行ったきっかけ
北海道の百人一首は、全国的なそれと大きく違っています。取り札が木でできているのです。その遊び方(遊びと言ってはいけない?)も違います。下の句を読んで、そのまま下の句でとります。正式には、3人でチームを組んで、突き手・中堅・守りという役割になって、お互いの直接の相手と戦います。
息子は小学校4年から中学3年まで、僻地の学校にいて、地域では冬の間、子供達を集めて百人一首をやってくれていました。町内大会や管内大会などにも行きました。位置づけは、少年野球などのスポーツ少年団と同等でした。
中学1年の時に、少年団の子供達を関西に連れて行ってくれる町の交流事業に、参加できたのです。そのスケジュールの中に、甲子園球場の阪神戦歓戦があったのです。息子は見事な「トラキチ」になりました。高校3年になった息子は、歴史が好きなので京都の大学に行きたいという結論を出しました。でも、阪神と共にありたいという大いなる下心があったのです。まつ、別に良いですけどね。
ず~っと昔、私の親が買ってくれた百人一首です。父と母と弟と私、冬は毎晩のようにやっていました。そして、息子も楽しんだ百人一首ですが、いつの日か又誰かが遊んでくれるのでしょうか。
三十数年、ずっとあちこち持ち歩いて、未だにあります。
ただ、ときどき取り出して眺めるだけですが...。
下の句での百人一首、なつかしいなぁ(’ー^*)。
今は全部忘れましたが(笑)
でも、下の句で取りにいくのは難しそうですね。
今も我が家には、木箱入りの百人一首があります。
ここ、ン十年開けてないけど、どうなっているんだろ(汗)
結婚されて、北海道を離れたのでしょうか。
板の百人一首は、半分スポーツみたいですよね。
★Nobさんへ
6年生で全部、偉い!
下の句かるたでは上の句は全く必要無いので、私は上の句も覚えたいと思い、二十歳過ぎに挑戦しました。でも、半分もいかないうちに挫折しました。