2017年 01月 22日
「感謝」も「誇り」も軽過ぎて (1/22)
私は自己肯定感やプライドが高いし、時々へそ曲がりなので、ことさら意識せずとも『私大好き』ですが、そうあれるのはたくさんの人たちのおかげであるという気持ちを忘れず、それをできれば表に出そうと心掛けています。が。
とうとうトランプ大統領が確定してしまいました。内政干渉する気は毛頭ありませんが、白人ばかりに見える就任パレードを見るに、心配でなりません。トランプの、豊かに育った体型、きれいな歯(顎から下唇までの距離の長さ)、家族を含め、非の打ちどころない美しい人達、こんな面々に何ができるのだと、いいえ、できなくとも良いですが、悪いことをしなければ。思いだすのは、かつて町のAETが、痛めた膝の治療を、アメリカ帰国前に日本で受けたこと。「日本は保険があって良いわ」と言っていました。
彼が掌を前に向けて、指を何本か折(数パターンあるよ)、上下に振りながら発する言葉に「感謝する」と「誇りに思う」が、幾度となく出てきます。リップサービスや作戦ではなく、本心であると思います。でもだからこそ、その軽さにうんざりします。日本人にとって、海外の人の、感情を外側に出す行為自体に、多少の違和感があることを差っぴいても。
とあるドラマで、虚構のブログを書いている設定がありました。誰が見ても、理想の日常です。そこにも「感謝」と「誇り」がちりばめられています。あ~、そういうブログ、実際にあるわぁ~。ブログだったら、好みじゃなかったら読まなきゃそれで良いのですけど。そう、読まなきゃ良いだけだと、おっつけばれます。
「感謝」には、「ありがとう」という言葉があります。これは、当たり前ではなくて有り難いことへの感謝なのだから、心から思おう、全力で「ありがとう」と言おう。
「誇りに思う」なんて、大袈裟で恥ずかしい。ちっぽけな私などは、せいぜい『自慢ですが・・・』と前置きしてドヤ顔する位で、ちょろいものです。はい、笑美ちゃんのかわいらしさは、自慢です。会ったこと無いけどね。
ファーチレ行ってきます。帰るまで、荒れないでください。