2016年 11月 30日
老眼的 (11/30)
新聞コラムに、記者自身が老眼になってきている話題がありました。加齢による老眼は、人間固有ではなく、類人猿のボノボもなるんだそうです。ボノボって誰?以前はピグミーチンパンジーって呼ばれていたんですって。そっちの方が聞いたことあります
老眼を恥じることはない。「近視眼的」は、良い意味ではないし、「老眼的」とは言わないから、経験から物事の本質を見極める余裕を持ちたいと言う話。本当にそうだなぁ。
私は小学校の就学時健診時点で、すでに近視でした。他の子よりも見えない事で、ものすごい劣等感を持ちました。両親が眼鏡だもの、近視の素質は十分にあったのです。正確には、近視は大した事なくて、強度の乱視でした。眼鏡は高校から導入し、周囲にも目の悪い子が増えてきて、珍しいものでもなくなりましたが、まだまだダサイ眼鏡で、女を上げる所までは無理でした。大学の頃ようやく、おしゃれなフレームが一般化してきました。女子はコンタクトにする人も増えてきましたが、裸眼で0.5位見えているので、そこまでしなくても良いなぁと思っていました。
車を運転する時以外は、眼鏡無しでもさほどのことはなかったのですが40代後半から、楽譜のアルファベットの歌詞が、良く見えなくなりました。とうとう私にも「老眼」ってやつが来たのです。いっちゃんは、近くを見る時は、近視眼鏡をはずしました。私は老眼鏡が無いと、近くが見えなくなりました。
去年、遠近両用眼鏡を作った時は、近視はほとんど無いと言われました。老眼になって、近視が治ったんでしょうか。だから私のは、遠乱両用眼鏡と言うのが正しい呼び方です。したがって、物事を大局的に多角的に見ることができる、なら良いのですけどね。
朴槿恵(박근혜)、とうとうやめますね。彼女を擁護する気は全くありませんが、辛かったろうなぁと思います。
私、1度で良いから、あ~寝た寝た~、良く寝たなぁ~と、思ってみたい。