2014年 08月 15日
朋有り遠方より来たる、亦た楽しから ずや (8/15 終戦記念日)
まだまじょ子町に住んでいた頃(おそらく10年以上前)に、1度遊びに来てくれました。私のやれる範囲でおもてなしをしましたが、その時に庭でBBQをしたことが相当思い出深かったらしく、いっちゃんが病に倒れた折、「大丈夫です。きっと元気になります。又必ず、BBQをしましょう。」と、励ましてくれました。だから、BBQははずせませんでした。今、私の生活を支えてくれる人は、たくさんいます。その人たちの力も借りて、ニャンコ座のデッキで、BBQをしました。
朋も様々な事情や問題やらをかかえて、私から見るととんでもないハードな生活をしています。聞くたびに、あまりのことに、絶句しそうなほどです。
ほんの数ヶ月同じ部屋で暮らしただけで、その後濃い付き合いがあった訳ではないし、それが息子が京都に進学した事で再会できて、でもコンスタントに交流しているわけでも無くて、なのにどうしてこんなふうにたくさん話すことがあるのだろう。偶然だけれど、その日は朋の誕生日でした。
肝心なことを、朋に言っていませんでした。本人はストレス太りだと気にしていましたが、少しふっくらした外見ではありますが、前回あった時と比べて、彼女はすごく柔らかく豊かになりました。ブログ、読んでくれていたら良いな。
涼しくて爆睡できたと喜んでくれた朋ですが、昨日の朝目が覚めた時、朋の足に、マコがしっかり乗っかって寝ていたのを、私は見たぞ。聞くと、その前は腕枕をしていたそうな。マコ流のおもてなしでした。やるね、マコも
8月15日 くもり あそんだこと
わたしは、がっこうのぶらんこにのりました。きよしちゃんは、すなばでとんねるをつくりました。
きよしちゃんはくつをぬいで、あしをまっくろにしました。
再び、弟のことですが、弟はこういった土遊びが大好きでした。山・川・道路・トンネル等々、それは見事に作っていました。親も近所の人も、将来そういう仕事をすると良いと思っていたようで、道内の私大の土木科を受けましたが、落ちました。受かったのは、国立一期の教育学部でした。父がいなかったので、母の苦労を思い、そうなったのかな。
線香の煙が昇るその先に
あなたはいるの?私を見てるの?
終戦の日です。あの日から69年、日本は戦争を放棄している事を、誇りに思いましょう。8月15日の12時には、いっせいに玉音放送を流した方が良いのではありませんか?
今夜は、まじょ子町の仮装盆踊りで、ちょうちょになります。そのまま泊って、明日はキャニオニングします。だからブログは遅くなります。
死者を迎えるとか、死を考えるとか、そんな感覚を大切にする絶好の機会。
(でもわたしは仏教徒ではないですね。お墓も戒名も自分にとってはどうでもいいです。命が燃え尽きる前にキリスト教徒になろうかな。カトリックは厳しそうなのでプロテスタントで。)
そうそう、甥っ子は2〜3年前に自衛隊に入りましたよー。
私も、お盆と終戦(本当は敗戦と言うべき)は、意味を感じます。
夫の両親の想いで、今は仏教的な供養をしてはいますが、私も仏教徒ではないです。ですが、お盆と言う節目は、大切かと思います。
甥子さん、自衛隊ですか。