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だって好きなのよ「夏の終り」 (10/13)

瀬戸内寂聴が作家としての地位を確立した、40歳の時の小説を原作とした映画061.gif「夏の終り」を、愛するみっちさんと観ました。自伝的小説だそうです。
いっちゃんが亡くなって2年間くらい、私は本気で寂庵に行きたいと思っていました。あまりに寂しくて苦しくて、自分が壊れると思いました。助けてもらいたくて、「ひとりでも生きられる」「あきらめない人生」「愛のまわりに」などエッセイを読みました。でも答えは書いてなくて、だから直接寂庵に行きたかったのです。今も、気持ちはありますが、さすがにそこまでは思わなくなりました。
だって好きなのよ「夏の終り」 (10/13)_d0017084_8415035.jpg場面が行ったり来たりするのと、セリフに説明的な言葉が一切ないので、ついて行くのが大変でしたが、このヒロイン知子の言動は、私はすごく自然であると思いました。私もこんな人ではないだろうかとさえ思いました。男性2人も、あるある。「だって、好きなのよ。」と地団太踏んで、すべてが片付く、それしかない、でしょう。「どうしたら良いのかわからい。」時はわからなくて良い。わからなくてのたうちまわれば良い。
夫と子供を捨てた(?)ことを、良いとは思いません。共感もしませんし、あの子がどんな人生を送ったのだろうか、シンプルにかわいそうです。一昨年亡くなった、嶋保子さんをふと思いました。でも、知子も嶋さんも、ちゃんと輝いて生きて行きました。女はおなかを痛めたのだから、我が子を手放すはずが無いというのは、偏見かもしれない。
観終わって、ホールで。とある女性が「夫を大切にしなくちゃと思ったわ。」と。私もいっちゃんが生きていたら、そういう風に思ったのかなぁ。それ以上に、この映画はたぶん観なかったとは思うけれどね。「恋が愛に変わった生活」とは、平和で退屈なものだけれど、失うと心が壊れるのかもしれない。
綾野君演じた涼太君が、その後どうしたのかが、とっても気になるみっちさんと私でした。
私は昭和30年生まれですが、30年代って、あんな風に着物と洋服を着分けしていた(こんな言葉あり?)のですね。母は着物は着ませんでしたが、参観日に着物を着てくるお母さんがいました。父は家に帰ってくると、着物でくつろいでいました。
最近、人気アニメの喫煙シーンが一部で問題視されましたが、この映画も、観ていて咳が出そうなほどタバコが出てきましたが、それはありふれた風景でした。タバコが、心象を表すのだと気づきました。
今日は、岩見沢で、コロ・フェスタ特設合唱団の練習です。おそらくそのハードさは「第九」の比ではないでしょう。今日は女声合唱だけですが、混声の「まだ失われていないもの」に、「人はもっと率直に生きて良いのだ」という歌詞があります。「夏の終り」を観て、帰りの車を運転していて、そこを思わず口ずさんでいました。「率直」は案外、大人のための言葉なのではないだろうか。

by nyankai | 2013-10-13 08:40 | 映画・テレビ番組 | Trackback | Comments(2)

Commented by みっち at 2013-10-14 12:44 x
恋が愛に変わった生活を失うのはたいへん苦しいことだと思うけど、
それが、家庭のある人が相手だと、
実を結んだ実感みたいなのが一度もなかったかもしれない分、
いっそうつらいことなんだろうなー。

「だって好きなのよー!」に加え、
知子が慎吾の妻と電話で話す会話のピリピリ感とか、
妻に会いに行く時の美しすぎる着物姿に、
圧倒されるくらい「女」を感じました。

それにしても綾野くん、
あんな目で見つめられたら弱いわ〜
私はもう体力のない年齢になってしまったことだし、
自分のことをより好きでいてくれる人のほうを選ぶでしょう。
「だって愛されてるのよー!」って叫んじゃう。
Commented by nyankai at 2013-10-14 21:21
★みっちさんへ
会いに行く場面で、知子の目的は何だったんだろう。どうしようと思っていたのでしょうね。単純にけじめつけるなんて言うものじゃないでしょう。そうせずにはいられなかったのだろうけど。
綾野君、時々生気の無い目をするって書いてありましたね。わかる気がします。
そうね、愛されたよね。安心したい。
次は何見ましょう(*^。^*)
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