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ニャンコ座リポート since 2005 April

紫乃さんの性描写 (9/30)

昨夜のNHKドラマNコン「ふるさと」、合唱もので、「気球に乗ってどこまでも」もあったし、子どもの声に震えて、少し泣いた。私は、ボーイソプラノフェチなんよ。
紫乃さんの性描写 (9/30)_d0017084_8591152.jpg「ホテルローヤル」は3作しか読めないままですが、図書館には紫乃さんの本が何冊かあったので、「オール讀物」で話題になっていた「雪虫」と「水平線」が入っているのを借りました。
かなりおもしろく、やりきれないです。私は酪農家の嫁ではないし、和服の仕立屋ではないし、歯科医でもないから、そこに描かれている人間みたいな行動をとることは無いけれど、そんな風に考えることは、いくらでもあるわ思いました。作家はおそらく、読者があるあると感じたことを、喜びとするでしょう。
未読の人でも「ホテルローヤル」というタイトルからして、性的な描写があることは想像に難くないでしょう。一見そこら辺にいそうな人に見える紫乃さんが、なぜこんなことを書けるのだろうと思います。
以前、確かテレビで、とある映画監督が、ラヴシーンの演出の際、具体的な指示を出すと、周囲の人たちはきっと、あ~この人の実生活だと思うだろうから、恥ずかしい、そんなことを言っていました。小説家も、すべて実体験とは言いませんが、それは作者の中にある要素でしょう。
紫乃さんの性描写は、言葉選びこそ巧みですが、かなり直接的、具体的、官能的です。「繋がる」という表現ですが、「繋がる」と書きながら、何ひとつ繋がりあえないことを伝えたいのですって。男と女がいれば、そこに行きつくのは不思議ではないし、食べることや遊ぶことや話すことと同じありふれたことで、だからそこだけ隠すのではなく、わかりあえたように思っても、実は何もわかっていなかったなんてこと、共感できるが故に、読んでみてやりきれないのです。そして人は、何食わぬ顔を世間に向けて生きているのです。
私は小説書けませんけれど、もしも書いて発表されてしまったら、恥ずかしくて町を歩けないです。書けないから、心配らないけど。ホラ、オリジナルの歌を作れない件。もちろん既成曲と比べても遜色無い、自分でも納得できるような歌を作れる気がしないからですが、その詞には、私という人間の判断材料がもろに出るだろうから、「Kissして」なんて書くの、恥ずかしい。人が作った歌だから、歌える。それをクリアできるのが、プロなのではありましょう。
「主役はいつだって愚かな女なの。」「褒めてるの?」「いいえ、自慢してるのよ。」…「霧繭」より:人生で1度くらい、すごく愚かな女になってみたい。(なってますって?)
話が少しも本当っぽく聞こえないのが、嘘をついていないせいだろう…「水平線」より:本音を言っているつもりなのに、嘘っぽくなることってあるね。
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by nyankai | 2013-09-24 08:58 | おはなし | Trackback | Comments(0)