2013年 03月 12日
さらけ出してるかい? (3/12)
時実新子さんは川柳、玉岡かおるさんは小説らしいですが、なるほどと思わせられる所がありました。小説家は作品の中では、自分をさらけ出さない。韻文作家はさらけ出す。
私はどちらかと言えば、小説よりエッセイが好きです。作家その人を知りたいからなので、作家研究本も好きです。ブログもエッセイ気取りで書いています。
短詩は苦手でした。その理由は、自己愛が強いので、誤解されたくない一心でした。あれこれ説明、言い訳をしているのです。でも、なんちゃって短歌を作ってみると、案外気持ち良いのです。説明できないことで、かえってとぼけられるからです。それはあなたが勝手にそういう解釈しただけのことであって、私は全くそんなつもりではありませんよとね。
でも短くなればなるほど、言葉はどんどんそぎ落としていかなければならないから、結果さらけ出していくことになるのでしょう。解説する余白等無いから、場面はフィクションだとしても、そこに何かしらの本音が出ると思います。注:本音=現実とは限りません(^_^;)
時実さんによると、創作の原動力は「恨」と「怒」だと。なんと正直な人でしょう。圧倒されます。
私の男 昔の服は着せませぬ (新子)
俳句は、季語やら何やらが大変そうで、踏み込んではいけないと思っていました。なんちゃって川柳ならできるかな。たった十七文字しかないから、余計な言葉は入れられません。
知られたい 並んで歩く好きな人
なべさんが、私がいっちゃんの死後、短歌を作るようになったのには、必然性があると書いてくれたことがありました。いっちゃんがいて、平和に暮らしていた私には、さらけ出さずにはいられないほどの本音など無かったのかもしれません。
Eメール わがままを言い困らせた
窓の外には雪どけの庭
解釈はお任せします。好きにして良いよ。ところでみんな、さらけ出してるかい?
息子が、ひたすらお笑いの脚本を書く原動力は、いったい何なのだろう。それでも「怒」なのかな。
日本語の場合、五七調とか七五調で作っておくと、良い歌詞になりやすいと思います。
なんていうか…きっと私の価値観がズレているんだろうけど、エッセイって読んでるうちに不快になることが多くて…
流行りの作家さんのエッセイをいくつか読んではみたものの、最後まで読めたのは無かった気がします。
小説、それもどちらかというとファンタジー系の小説が好きなのは、私にとって読書は現実逃避ってことですかね?
うーん…
私が一番「さらけ出してる」のは歌ってるときだと思います。
友達には、断然小説派が幾人かいて、以前はそれだから、私がおっかしいんかなと思い、あまり言えませんでした。でも、それもありでしょ?
私は歌う時は案外別人格になりきっている感覚があります。その意味では。歌う時の方が現実逃避かもしれません。
おもしろいね、こういうやりとり。
小説を好むひとはロマンチストが多いですね。
その仕分けに当てはまらないひとも多いですが、ま、エッセイは短くて結論でますが、小説は結論まで時間がかkりますので・・
そうなんですか?論理的ではないけれど、子供の頃は屁理屈こきと親に叱られました。今も相手に「面倒くさい」と言われることがあります。それかなぁ。
でもそういう人少なくなりましたね。若い人にもっと・・と思います。
う~ん、そうですかねぇ・・・