2012年 02月 21日
夢みるニャン子「薪ストーブのある風景」 (2/21)
ストーブの上にはお釜が乗っていて、ブクブクと米が沸騰していた。ご飯の炊けるおいしい匂いを、鼻の奥に吸い込みながら、着替えをするのが好きだった。母さんが、良いタイミングでお釜を持ち上げると、父さんは火ばさみでストーブの上に輪っかをはめていく。再度お釜を載せると、遠火になるので、そのまま蒸らしタイムになった。
ストーブは、タイルのきれいなストーブ台に乗せられていて、下にはほうろうのバットに水をはって置いてあった。前には銀色のちりとりや炉ぼうき、横には火ばさみが置いてあって、上には真っ黒な鉄瓶が、シュンシュンと湯気を立てていた。ストーブの後ろには、煙突がくぐる仕掛けになっている青いほうろうの湯沸かしを置いて、炊事や洗顔などに使うお湯をまかなっていた。
煙突は詰まるので、時々煙突掃除が必要だった。すっかり火を消して、煙突が冷えた頃に、床に新聞紙を敷いて、父さんが掃除した。煙突掃除の時は寒くなるので、ニャン子は嫌いだったが、掃除が終わって、勢いよく薪が燃えだす時は、心から安心した。
母さんが誰よりも早く起きて、部屋をあっためてくれているので、家族は幸せなんだなぁと思っていた。学校から帰ると、ストーブの上に煮豆や甘酒の鍋があったり、アルミのお弁当箱でパンを焼いてもらったり、ストーブにはおいしい匂いがセットになっていると思う。雪遊びで濡れた毛糸のぼっこ手袋もゴム長靴も、ストーブのそばで干した。
ニャン子が中学生の時に、ストーブは石油に替わった。湯沸かしは、アルミ製の上に置くタイプになり、ガス湯沸かし器が付いたからそれも無くなり、ストーブは壁際に置くようになり、そして今は、セントラルヒーティングで、家の中はすべて、いつも一定の温度に保たれるようになったけれど、その分乾燥がひどい。暖房のことでは、昔は良かったなんて、全然思わない。でも、もうこの世にはいない父さんや母さんのくれた温もりは、ちゃんとニャン子の体に残っている。
1997年(ニャン子42歳)に、人生を折り返したような気がして、いくつかの思い出を綴った時に、挿絵として描いた絵を貼ります。あまりに遠い記憶なので、正しくないことがあるかと思いますが、そこはお許しを。
私が覚えているストーブは、石炭ストーブ。
物置の横に石炭小屋があったなぁ…懐かしいですね。
贅沢ではない毎日でも、良い時代でした。
薪割りもやらされましたが子供だったのでヘロヘロでした。
「北の国から」の中で不平不満ばかりを言う純に中畑のおじさんが
「おまえらが凍えないで眠れるのはお父さんが何度か起きて薪をくべているんだぞ」的な事を言うシーンがあって
手のかかる道具ってのは不便ではあるけど人の気持ちとか想像力や労力も加わってはじめて完成するんだなと思ったのを思い出します。
風呂釜は、石炭でした。
私も、そこそこ覚えているでしょ?
明日は今日より良い暮らしができると、誰もが思っていた時代かな。
★toshixさんへ
秋田でしたか。
薪割りしたなんて、偉いですね。どこの家でも、自分でやっていたんですよね。みんな、マサカリを持っていたんですねぇ。
手のかかる道具は不便ですが、今の道具は逆に、自分でできることが何もなくて、もしもの事があった時に途方に暮れるんだなぁと思いました。