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ニャンコ座リポート since 2005 April

死者老いず生者老いゆく恨みかな (8/13)

菊池寛の俳句だそうです。
子どもが真っすぐにこちらを見て「人間はどうせ死ぬのに、どうして生きるの?」と聞いてきたら、明確に答えられる人がいるとは思えません。むしろ、私はこの子供の立場です。
この間、図書館で何気なく手にとった、永六輔の「大往生」、読みごたえがありました。
「往生」って、“死ぬ”ことではなく、“往って”“生きる”ことだと。残念ながら、私は宗教音痴なので、にわかに“生きる”を納得はできないのですが、そう考られるようになったらどんなに良いでしょう。
永さんの「生きるものの歌」のセリフ部分が、出版されている楽譜によると「思い出と歌があなたを支えてゆくだろう」となっていますが、本では(これがオリジナルでしょう)「人は死にます ・・・その時に 生まれてきてよかった・・・と思いながら死ぬことができるでしょうか そう思って死ぬことを大往生といいます」になっていました。
死者老いず生者老いゆく恨みかな (8/13)_d0017084_961646.jpg漠然と、もう死んでも良いと思っています。やり残したことも無いとは言えないけれど、悲しんでくれる人もいると思うけれど、まあまあ満足しているから。でもおそらく、これは私がまだ、とりあえず具体的に死ぬことを感じていないからでしょう。
人は、自分の意思で生まれてくる訳ではないから、死ぬ時も意思は介入しないのだと思います。毎日が楽しければ、何のために生きているかなんて考えなくとも済むのでしょうが、苦しく悲しい日々だったら、なぜ生きるのか、やっぱりわかりません。
いっちゃんは、亡くなる前日、看護師さんに「何だか、あっちへ往っちゃいそうで。」と確かに言いました。いっちゃんは、あの時に、そろそろ自分が死ぬんだとわかっのだと思います。いっちゃんは、怒りと嘆きとの時期を一瞬にして通り過ぎ、ひたすら私や親を気遣い、受容の1年半を送ったすごい人だと思います。大往生なのかもしれません。
事故は違うかもしれませんが、人間死ぬ時が来たらわかるのだと思います。母はそれを言葉では伝えられなかったけれど、私が母の死に際して落ち着いていられたのは、母が十分に示してくれていたからだと思います。母の新盆。午後、お墓参りに行きます。
昨日の訃報は、ショックでした。同年代です。ご本人もそうですが、奥様を自分と重ね合わせてしまって。そうか、たくさんの人が彼に「ありがとう」って思ってる。なぜ生きるかのヒントは、その辺にあるのかもしれません。いっちゃん、そちらで彼に会ったら、しっかり鍛えてもらったら良いよ。
でもさっさと死んでしまうなんて、置いていくなんて、二人ともずるいよね。思い出と歌だけなんてさ。幸せな別れなんて言われてもさ。ねぇ、知子さん。
Commented at 2011-08-13 18:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by nyankai at 2011-08-13 23:15
★鍵コメさんへ
コメント、ありがとうございます。
Commented by ハル at 2011-08-14 00:16 x
お知り合いの方、残念でしたね。お悔やみ申し上げます。
nyankaiさん、漠然と、もう死んでも良いと思っていますって、う〜ん、それはそうなのかもしれませんが、、、。その言葉は、ちょっと淋しいです。(涙)
Commented by nyankai at 2011-08-14 08:32
★ハルさんへ
おはようございます。
漠然と、・・・です。もう死んでも、悔いは無いというか・・・
Commented at 2011-08-14 23:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by nyankai | 2011-08-13 09:05 | 夫いっちゃん | Trackback | Comments(5)