2011年 08月 03日
蜂騒動記のてん末と寂寞の庭 (8/3)
私はショック死することもなく、刺された所は順調に・・・ではありますが、未だにしこりのように固くなっていて、その周囲に痒みが残っています。蜂もさる者です。
怖くて色づき始めた黄色い木イチゴに近づくこともできず、刺された3日後にガーデニング助っ人さんにSOSしたら、ソフトボール大の巣を見つけてくれて「バカだなぁ、こんな所でガサガサ騒いだら、蜂だって刺すべ。」と笑われました。キンチョールを思い切り噴射(1度目の変換では、重い霧噴射だって、何やら意味あり気)して、1週間後の昨日、撤去してもらいました。これです。蜂の子はまだ動いていました。「食べるか?」と言われたので、丁重にお断りしました。これで、おいしい木イチゴを収穫できます。
それにしても、草取りは嫌ではないのですが、ちょっと迷いが出てしまいました。やってもやっても切りの無い作業、不毛なことをやっている気がしてくる。到達点があるわけではない。一緒に汗を流す人がいる、収穫を喜びあう人がいて初めて価値があることなんじゃないの。
病魔と闘うご主人を支えている知人が、その方もガーデニングの好きな方なのですが、一人でやっていると、孤独感にさいなまれるそうです。こんなことを言いました。「見なれた風景が、突然見なれぬ景色に一変することも。あるいはカラー写真がモノクロに変わるように。今は”来年”とか、未来に関する言葉が簡単に使えなくなってしまい、私を不意打ちし、・・・人生は有限に決まっている、なのに、死を前提にしてモノを見ると、かくも視界は変わってしまう」これ、すごくわかるんです。私も不意打ちだったかもしれない。気が付くと、何かが澱のように、喉に張り付いていて、飲み込むことも吐き出すこともできない感じ。
浅田次郎が、三島由紀夫が筆を擱き剣を執った死の朝、「天人五哀」に記した最終部分を紹介していました。「何一つ音とてなく、寂寞をきわめてゐる。この庭には何もない。(略)庭は夏の日ざかりに日を浴びてしんとしてゐる。」 「寂寞の庭」です。三島由紀夫などとはおこがましいけれど、看板でも作ろうかな。「寂寞ガーデン」。広すぎるモノクロームの庭で途方に暮れ、茫然と悄然と立ちすくむ私の泣きっ面に蜂。キャッ、できすぎ。
今夜は、B.Bホールにライヴに行くよ。私はたぶん、多面人格なのでしょう。みんなもそう?
ある友人は「ディスコのミラーボールみたいなもんでしょ!」と言っていました。(たとえで年代が分かりますねぇ~)
あれくらいキラキラと輝きたいものです☆
コメントありがとうございます。
私も、本当にわかり合える人として、大切に思っています。
★こけしさんへ
多面人格、ですよね。みんな。色んな顔を持ち、相手・場所・時によって使い分ける。意図的ではなくても。
ミラーボールね。輝くミラーボールに映し出される自分ってのもあり。
σ(´Д`★)ゥチの息子の話で恐縮ですが
小4の頃に自転車で商店街を走行中に背中を蜂に刺されて
(何バチかはわかりません)…。
とりあえず病院で点滴をうけたり
外用薬・内服薬を処方していただいて
2週間くらいで治ったのですが…
その後、とても稀な事らしいのですが
たかだか蚊にさされただけでアレルギー反応を起こし
外科的な治療が必要なまでに腫れるようになってしまいました。
完治後も様子をみていてくださいね。
時に違って表れるのでしょうね。
とっても明るい人でもネクラな部分は
たっぷりありますしね。人は楽しくて面倒くさい(笑)
庭のお手入れは、たとえ好きでも たいした労働です。
ニャンコ座の庭はnyankaiさんと一緒に生きよう♪と
どんどんずんずん元気なんだわ。
蜂の刺し傷に負けてらんないわね。美しいおみ足、ぽりぽりかいたらダメよ。
楽しくて面倒くさい・・・ですね、確かに。
元気が良い庭に、圧倒されているのでしょうかね。何だか、一人でいると、ぼんやりしてしまうのです。
足、だいぶかきむしってしまいました(・_・;)