2011年 07月 29日
夏休みの小道 (7/29)
息子がまだ小学校低学年の頃(だから20年くらい前)、「夏休みの小道」というタイトルの文章を書いた記憶があります。新聞投稿をしたような気がするのですが、載った証拠もなければ、原稿も見つかりません。なのに、妙に懐かしくて、頭の中に残る文章の断片を拾い上げて、復元してみたくなりました。
夏休みの小道
私が子どもの頃の夏休みは、とても長く感じました。ほとんどの子供が、どこかに連れて行ってもらうようなことは無かったのに、ゆったりと楽しい特別な期間でした。
学校がある時よりも早起きして、弟や近所の子達とラジオ体操に通いましたが、その行き帰りの道は、朝露に濡れた草が冷たくて、ピョンピョンと飛び越えながら歩いたものでした。
プールなど無いから、午後になると、近くの川(注:幌別川)に泳ぎに行きました。冷たい流れに身をゆだね、水の中からまぶしい水面を眺めながら流されるのが好きでした。濡れた水着(注:紺色スクール水着)の上に、そのまま服を着て、疲れて重い体を引きずって歩く小道のわきには、ほこりをかぶったの野チゴがたくさん実を付けていました。比較的きれいなのを取って口に入れると、それは甘酸っぱくておいしかった。
毎日同じことの繰り返しに、何の疑問も不満も抱かず、満ち足りた思いで、朝露の道と野イチゴの道を歩きながら、長い夏休みがゆっくり過ぎていく、そんな健康で普通の子供だった私。母親になった今、息子たちが歩く夏休みの小道にも、幸せが満ち溢れていますようにと願っています。
こんな感じだったと思うんですよ。「麦藁帽子」「絵日記」「押し花」「虫取り網」「舌が染まるようなアイス」「昼寝」「蚊取り線香」「いとこ達との再会」「冷麦ができたと呼ぶ母」「ステテコにランニングでナイタ―を見る父」・・・もうこんな光景は戻ってはこないのかもしれませんが、世界中の子供たちが、幸せな夏休みの小道を歩けますようにと、心から願っています。
写真は、昭和43年夏(私中一)、弟と近所の子(ゆきひろ君・ゆういち君・みゆきちゃん、みんな元気かい?)を連れてラジオ体操に行ってきた帰り、だったと思う。中一でラジオ体操って、私も真面目だねぇ。ねむそう。