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今が1番声が出る錯覚 (2/25)

昨夜は久しぶりに、音が聞こえる雨が降り、ニャンコ座の周りの大雪原にも茶色が目立ってきました。
来月早々、釧路で「日本語メサイア」の演奏会。富川合唱団のライヴは5月下旬予定です。声は、おかげさまで自己満足できるくらいは出ます。歌は声帯を使うスポーツである、声帯は筋肉である、ことから考えると、私の肉体は遥か昔にピークを過ぎているのですが、今が1番声が出ていると感じます。一緒に歌っている皆さんがどう感じるかまでは責任持てない、錯覚かもしれませんけど。
最近、フォークが中心の思い出のメロディー的な歌番組を二つ見ました。同年代かそれ以上の歌手たちが、続々と歌ってくれました。変ってない(褒める意味)人、深みを増して良くなっている人は嬉しいのですが、そうでもない人も正直いました。どうしてなのかなぁ、プロともあろうものが、鉄のような(すごい比喩だ)努力していないの?とか、自覚あるならなぜこういう場に歌いに来るかなぁとか。でもそれもまた味わいの一つ、考え方の一つなのかなぁ。良くわかりません。
d0017084_9161284.jpg今が1番声が出る錯覚とは、ソプラノとしては下がってないと思うし、若い頃よりも低い方も使iいものになってきたし。楽器としての私は、痩せっぽ過ぎるできそこないですから、神経が図太くなって、うまくごまかせるようになっただけかもしれないのですけどね。
今回初挑戦のシャンソンは、まだまだ全然ものになっていません。シャンソンってそうよ、50、60鼻たれ小僧の世界でしょ?だから10年後にも、今が1番声が出ると言っていたいです。20年後は、生きているかどうかわからないから、まだ考えないことにします。
90年代に入ってからの流行の歌は、ほとんどわからなくなりました。昨今の歌の大部分はどこが良いのか、何を言っているのか、聴きとることさえ不可能です。歌に聞こえないのです。昔の歌は良かったなんて郷愁を言うつもりはないし、これこそが老化現象だと言われると、グーの音も出ませんが。
   人生はおろかなものと知ったふうに069.gif
      鏡の中のディーバを気どる

今日は午後からと明日昼辺りまで、町内会のご高齢の方の葬儀のお手伝いです。古い手伝いの風習が残っています。ご本人は全く知らない方だし、母の葬儀がお手伝い無しの家族葬で、しっとりほっこり良い雰囲気だったこともあって、いく分の複雑さは正直あります。でも私はここで生きて行きますから、行ってきます。
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by nyankai | 2011-02-25 09:15 | 音楽(合唱) | Trackback | Comments(0)

ニャンコ座から 「合唱」 「猫」 「ミュージカル」 「パッチワーク」 「亡き夫」 など 大好きなことをおしゃべりします おいでくださってありがとうございます


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