2011年 01月 06日
元旦はお風呂に入らない? (1/6)
お正月くらいは、主婦を労働から解放しようという精神は、大切だと思います。年末にがんばって、年明けにゆったりしようとする工夫ですね。が、今ではお風呂に関しては、科学的合理的理由はとん無い(ニャンコ座も、台所でボタンを押すと「お湯はりをします」のアナウンスが流れて、勝手にやってくれる)のですから、好きにしたら良いと思います。縛られることは無いと思います。ましてや人に押し付けたり、それでもめごとになるなんて(ネット上では、帰省先の実家で、元旦に赤ちゃんをお風呂に入れちゃいけないと言われ、けんかしたなんて書いてあったので)、笑止千万です。
でも、知識としては、やっぱり知っていた方が良いと思いました。できたころは、しっかりとした根拠があったわけだし、それを後世に伝えて行くことは、大切だと思います。私はあまりに知らないし、こだわりがなさ過ぎでして。
どうも、父も母もたくさんの兄弟の下の方で、私が物心ついた頃には、母方の祖母が一人残っていただけで、同居していたわけでなし、おじいちゃん・おばあちゃん体験が少ないのです。たぶん北海道という土地柄も、先祖代々意識が希薄なんだと思います。しがらみや因習なども全然感じないで、大人になりました。「昔からそういうものだよ。」という言われ方には、理由を教えてもらえなければ納得できません。私は「嫁にもらわれるつもりはない」と言い放ち、ちゃんと働いているのだからと結納も拒否したような、ある意味つっぱりです。と言って、ダイヤの婚約指輪は、ちゃっかりもらった。
夫も輪をかけて、科学的・合理的な物の考え方をする人で、息子もしたがって、「大槻教授×韮澤さん」のバトルをエンターテイメントショーとして楽しみ、物事を好き嫌い・感情論で判断するなと、おかんに説教するほどになりました。
余談ですが、久しぶりに(今年初)新雪が少し降りました。高田三郎の合唱組曲の名作「心の四季」の1曲目「風が」に、「雪がすべてを真白に包む 冬がそれだけ汚れやすくなる 汚れを包もうと また雪が降る」(吉野弘 詩)・・・そのものの光景でした。
うちは実家が下駄屋で木くづが沢山出るのもあってお風呂は薪を燃やすものだったから、どんどん続けて入らないといけないし、風がきついと冬なんかは何日もお風呂沸かせなくて銭湯に行ったりしてました。お嬢はじゃんじゃんシャワーを使い、毎日髪の毛を洗ってホント恵まれてると思います。
私も婚約指輪貰いましたが、何処にもして行くところがなく今やタンスの肥やしです。
下駄屋さん、まぁ、風情がある・・・と苦労も知らずにすいません。
昔、親戚の家には、おがくずストーブがありました。
銭湯、時々行きたくなりますね。
婚約指輪って、する場所はないですね、確かに。
夜新しいくつを下ろさないとかつばめが低く飛ぶと翌日は雨など。科学的に証明されている物も多くありますよね。
本当は意味があるので、ただダメとかでなくて昔からこうしてたとか一言あるといいのでしょうね。
元旦からけんか・・・納得できずとも、なぜ一旦は受け入れられないのでしょうね?まして実家。自宅ではないのですから。1日くらい風呂に入らなくてもあせもや湿疹にはならないでしょうに!他人の話はまず受けてみることもいいと思うのですがねぇ。
それからでも自己主張は出来るのに。大人になりきれない大人は多いですねぇ。それがお母さんですから、どんな子が育つのでしょう?!
おっとおしゃべりが長くなりました。不適切でしたら削除して下さい。
ロ~ズマリ~さん、偉いわ。
私は「つばめ」は根拠がありそうだから(猫が顔を洗うもね)良いけれど、「靴下」はたぶんだめね。でも喧嘩はしませんよ。こっそり隠れて、新しいのを履きます(^_^;)夜も平気でつめ切るし。大安とか仏滅とか考えたこと無いし。でも、人様にかかわる時は、自分なりに気は使っているつもりです。相手を不快にはさせたくないですから。それと、根底に思いやりの心がある言い伝えは、大切だと思います。
又、おしゃべりに来てください。本来、こういうおしゃべりって、すごく楽しいことだと思いませんか?