2010年 07月 26日
もう誰も触ってくれないおっぱい (7/26)
今をさかのぼること、25年以上前、私は小学校の先生(この肩書きは、けっこう自分のプレッシャーになる)だった頃のことです。同じ年に採用された同僚が、近隣の新米教員のゆるい集まりの中で、文集を作ろうとか何とかいう話が持ち上がった時、「私のおっぱいは何のためにある」という文章を寄せていました。彼女のが印象的過ぎたせいか、私が何を書いたのかは全然覚えていません。彼女の結論は、「赤ちゃんを産んで、思い切りおっぱいを飲ませるため。」だったように思います。
私は、こんな体格にもかかわらず、母乳が良く出ました。おっぱいが苦しいほど張って、それを息子が力強く吸ってくれるのは幸せで、快感ですらありました。でも私は子供は一人だけですから、私のおっぱいはたぶん本来の存在意味を持つ期間は、短かったわけです。写真は1984年夏、息子の手は、大切な私のおっぱいに触れています。息子は8カ月、私は28歳。
夫は、巨乳には程遠い微乳で、さりとて美乳というわけでもなく、感触は好みでしょうが、年々垂れさがる私のおっぱいを、ずっと愛してくれました。
ミクシイに「未亡人」というコミュニティーがあって、そこに書かれる内容は痛々しすぎて、私は時々読みますが、ほとんど読むだけ状態です。でも少し前から、ちょっと共通点のある方と、メールのやり取りをさせていただくようになりました。その方が、とある別の女性のブログを読んだ時、「もう私のおっぱいは、誰にもさわってもらえないの?」と書いてあったのを読んで、キュンとしたと書いてありました。顔も名前も知らない3人の未亡人が、それぞれの場所で抱いた単純ではない思いが、一瞬呼応したのでした。
乳がん検診のマンモグラフィーの技師さんと、医者にしか触ってもらえないなんて、確かにね・・・
私は中2時の虫垂炎手術で腸が癒着した為、胎児が下腹部に降りず4日間頑張り最後は帝王切開になりました。予後が悪く、食事も満足にとれない状況で努力は重ねたものの母乳は駄目でした。
育児の役に立つ事もなく、私のおっぱいは検診は己の触診のみ、幸い元気です。
そうでしたか。
難しく、堅苦しく考える必要は無い、ということなんでしょうけれど。
私は、父を40代で癌で亡くしているので、癌検診は優等生なんです(^_^;)
★こけしさんへ
「書いちまったぜ!」ということに、よくぞコメントくださいました。さすが、こけしさん(*^^)v
「押しも押されもしない未亡人」って、良いですね。今度使わせていただきたいです。