2010年 06月 22日
続 女の短歌 (6/22)
たあいなき日々の出来事のわがメール
残されるは亡き夫のケイタイ
見あぐれば戦火のごとく散り急ぐ
夫亡きあとの桜の花は
忘れ得ぬ人の名砂に書きたれば
忘れなさいと波は消しゆく
もちろん、読み手は3人とも女性です。上の二首など、これ私か?というほどです。下は、忘れ得ぬ人とは、恋人かもしれませんが、もしも海に行ったら、やってしまうかもしれません。
「未亡人」のコミュに、新しい方が入りました。辛そうです。どしてすばらしい夫ばかりが亡くなるのかと、つい思ってしまいます。
学校で、古文は嫌いではありませんでしたが、古語は使えません。調べているうちに、気持ちが萎えてしまいそうなので、無理やり現代語で通しますが、古語を使いこなせるようになりたいです。
老夫婦仲良く散歩する姿
悲劇のヒロインになる私
写真は、見ごろを迎えた、ニャンコ座のジャーマンアイリスと牡丹。ニャンコ座の中では、ちょっぴり和風の空間です。大好きな合唱曲に、こんな歌詞があります。「あ~、花咲き実る 毎年の約束の不思議さよ」、その通りだなぁと実感できます。
私も俳句や短歌を作るときは現代仮名遣いにしています。それというのも歴史的仮名遣いを使いこなす自信がないからです。もっとも、鴎外や漱石や龍之介でも元のままの文章で読むと用字はまちまちだし、山本有三は戦前から現代仮名遣いとほぼ同じ書き方でしたから、はっきりした基準が昔はなかったのかも知れません。別に調べたわけではありませんが、日本語の基本的な用字法を国が示したのは、戦後が初めてなのではないかと、思ふてゐるわけです。
なべさんは、けっこう使えているじゃないですか。
ずいぶん前ですが、明治政府の時に、そういう仕事を与えられた人の話のドラマがありましたよね。結局努力は報われなかったようですが。そのままあいまいなところが、良いのかもしれませんが。