2010年 04月 11日
4月10日のコラム
苫小牧民報のコラム「ゆのみ」を書くのも、来月いっぱい。今までにも増して、関係者や読んでくださっている方に感謝しながら、残り3回を書きたいです。昨日10日掲載分です。
母の生きようとする意志に背中を押されるわたし
認知症の母は、去年の11月初めに誤嚥性肺炎を起こし、グループホームから病院に運ばれました。的確な治療のかいがあって回復しましたが、もう2度と口から物を食べることはかなわなくなりました。
病状が安定したら、「胃ろう」をつくってグループホームに帰ることも考えられましたが、様々なトラブルが起こり、結局3カ月目にして、5年以上お世話になったホームを退所しました。
トラブルの一つが、高齢者特有の頑固な皮膚炎です。これはステロイド剤を使うと見事に良くなるのですが、もろ刃の剣のステロイドは、あちこちの粘膜を弱くして、結果新たな感染症や様々な炎症を招き、体を衰弱させてしまうとのことです。
少し前のこと、母は又肺炎を起こし、胃から出血したり、おしっこが出なくなったりと、かなり重篤な症状に陥りました。5種類もの点滴につながれて、そのうち2つはコンピューター制御のものものしさに、正直腰が引けました。生きることの定義って、いったい何だろうと思いました。
母の認知症は、もう十年来です。今はほとんどコミュニケーションがとれないし、限りなく寝たきりに近い状態です。わたしが病室に行っても、何もできるわけではありません。でもわたしは、母のそばでとりとめのない話をしたり、時には本を読んだりして過ごすのが、けっこう好きです。
母がこんなことになっているのに、わたしは旅行したり、ミュージカルに出たりしました。母はきっと強い意志の力で、生きようとしているのだと思います。だからわたしはいつも、母に背中を押してもらっているのです。
PS 井上ひさしさん、死去ですって。大ファンの夫は、会いに行くだろうか。合掌。