2009年 08月 16日
父の写真が語ること
ブロガー仲間のかま猫さんが、こんな記事を書いていました。こちらも。正確には、かま猫さんのお父様が書いたのですが。これはすごいです。たくさんの人に読んでもらいたいと思いました。
私の父はどうなんだ?と思いました。父は私が18歳の時癌で死んでしまったので、戦争のことを聞いた記憶が少ないのです。母も認知症の悪化で、話しらしい話しもできませんから、ちゃんと聞いておかなかったことが、本当に悔やまれます。
父は昭和2年生まれ、戦争まっただ中に多感な時代を過ごしました。目が悪かったので特攻隊をまぬがれたと、聞いた覚えがあります。それは父にとってはとても悔しいことで、川崎の東芝で、レーダーを作っていたらしいです。空襲を受けて、布団をかぶって田んぼに逃げたとか、聞いた記憶があります。
母の部屋で父の古いアルバムを探し、3枚をピックアップしました。①は、父の家族写真。赤ん坊のどちらかが父です。祖父は少し覚えがありますが、両親が結婚する前に亡くなった祖母は、すごくきれいな人だとびっくりしました。②は、昭和18年5月銃器室とあります。父の右後ろの人達は軍人です。③は、相撲部の様子。初代若乃花に勝ったことがあると(父は室蘭の工業高校にいた)、自慢していたっけ。
②と③を見ると、息子が私の父に似ていることは、明白です。
敗戦後、日本に帰るまで、満州では大金持ちだったのに帰国してからは貧乏しながら女専に進み本当にみじめだったと聞いています。祖母からも、春に伯母を尋ねたときも戦争の話しを聴いて。
終戦記念日は中国や韓国にとっては解放されておめでたい日なのですよね。
伯母は中国と韓国と日本のお年寄りの歩き方の違いが今でも判るそうです。
私の伯母も、満州から引き上げたと聞いたことがあります。その伯母の家も、満州でははぶりが良かったそうです。命からがら逃げてきたようで、ひどい目にもあったとか。
私の感覚では「敗戦の日」かな・・・
nyankaiさんが書いてくださることでたくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。
私の両親の写真に比べて御祖父さまご一家の御写真のしゃれていること!御祖母さまはnyankaiさんに似ていますね!
こうして3枚の写真を拝見し「血」って繋がって子孫にながれていくものなのだなぁとつくづく思いました。
私の父も足が不自由だったので兵役を免れたのですがそれはそれで忸怩たる思いがあったとおもいます。