羽生君、宇野君、金銀メダルおめでとうございますF647.gif
昨日は新聞や郵便のために昼過ぎもう少し雪かきをして、ヘロヘロになってクライマックスを見ました。テレビの前に正座して、息ができないほどになりながら、ラシ~ド~シ~ドシ・・・ピ~ヒャラ~ドンF3F1.gifの瞬間に、私は歴史的瞬間を見たと感じました。「何度もだめだと思った。生きてて良かった」そうか、そうか、そうだよね。余談ですが、SEIMEIのお衣装、前のとd0017084_9335618.jpgけっこう変わっているのですね。
 宇野君は、1個目のジャンプを失敗して、笑いがこみ上げたと言うからすごいね。参考にします。「トゥーランドット」のステージに立って(立ったこと無いし、これからも立つこと無いけど)、合唱団員として一緒に歌っている気分でした。Vincerò(我は勝つ)! 出ろ出ろドーパミン。羽生が盾になってくれるので、楽チンでしたって、インタビュー中にくしゃみして、ジャージの紐気にしてるあなたって、面白すぎる。
 Q.いっちゃんはなぜミステリアスなおっさんなのかF65B.gif
 A.息子が書いてくれた文章の中で、なるほどと思わせられたのが、たぶん内側にはたくさん面白いことを考えているだろうに、それを発表することに全く執着が無いことが不思議であることでした。息子も私も、書いてナンボです。これはなぜかというと、「イイネ」がほしいにしても、コメントが嬉しいにしても、つまりは共感してほしいからでしょう。たまに、思いもよらない反対意見にうろたえる危険もありますが、基本はそうだね~と言ってもらえる事で、自分を認識できるのです。
 d0017084_934468.jpg人は人に向かって何事か発信して、その反応を見ることによって、自分を評価する気がします。もって生まれたかもしれない才能も、元々の性格さえも、人という基準があって初めて、それが自分なんだとわかるのです。承認されたと安心するのです。評価ばかりを気にして生きる、という意味ではないけれどね。でもいっちゃんと言う人は、その基準が無くても、自分がわかっていたのかもしれません。だから、発信する必要など無かったのでしょう。それに加えて、たいていの人はそうではないことも、わかっていたのです。
 いっちゃんは、どんな環境でもアイデンティティーを保てる、柔らかくて強い人だったのです。もしもいっちゃんも書き魔だったら、私達は上手くいかなかったかもしれません。息子に結びに「あんなかっこいい大人はいないかぁ」と書かせる父親って、あっぱれです。でもわかりにく過ぎて、作品にはできないそう。じゃ、私が書き残さなくてはとは思うけれど、難しいなぁ。書けたら、芥川賞ものです。そんないっちゃんと、フィギュア見たら、さぞかし愉快だったでしょう。
 藤井君が羽生さんに勝って、最年少で六段になったそうですね。すばらしいことです。
 今朝はまだベッドの中にいるうちに、トラクターが出動してくれていました。助かりました。
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# by nyankai | 2018-02-18 09:30 | 夫いっちゃん | Trackback | Comments(0)

 雪はさほど積もっている訳ではないのですが、風が強いので、吹きだまりになってしまったエントランスに続く道を掘り出してと言う感じ。力仕事は辛いんだなぁ、後でだるさが増すのです。
 羽生君、あなたの「僕、失敗しないので」感がすばらしい。ドヤ顔が良い。あなたは美しいF37E.gif ショパンのバラードと「四季」の「冬」がd0017084_105238.jpg鳴りつづけた昨日でした。
私にとって、最初に男子フィギュアの選手を認識したのは、同い年の佐野稔です。確かに日本のレベルはまだちょっとぉだったのかもしれませんが、佐野さんはかっこ良かったです。エキシビションだったのかどうかは忘れましたが、競技では禁止されている後方宙返りを見事に決めて、得意になっていたのを覚えています。
 未だに最高だと思っているのは、ロビン・カズンズです。長い脚でディスコのステップを踏んでいた彼を越えるヒーローはいません。そのちょっと後かな、スコット・ハミルトンと言う、とても良く回転する選手がいて、スピンのスローモーションで、鼻水が飛び散ったのを確かに見た、と思います。ごめんなさい、スコット。それ以来、選手が演技前に鼻をかむのを、当然のことと思うようになりました。
 その次は、キャンディロロがお気に入りになりました。あくまで私個人の感想ですが、スケートが最高上手いのは、高橋大輔だと思います。完璧にコントロールできていたのは、プルシェンコだと思っています。
d0017084_107829.jpg Q.いっちゃんはあがらなかったのかF65B.gif
 A.自分からは全く出たがりじゃなかったいっちゃんですが、周囲の人が何かをやりたがることには、全面的に応援してくれました。私が何をやっても「すごいねぇ、上手だねぇ、やってみると良いよ」と、自分がやるかのように喜んでくれました。ニャンコ座を始められたのも、いっちゃんが褒めてくれたからです。「笑の内閣」のほんの始まりしか見ないで逝ってしまいましたが、「ちゃんとやっているんだ」と、ポソッと、でもニコニコ言ってたのは覚えています。だから、今の活動をどう思ってくれているか、すごく聞いてみたいです。
 息子を怒ってばかりいたように見えますが、良い所は驚くほどシンプルに認め、褒めていました。姪っ子の結婚式で、久々に化粧をしてスーツを着た義母(80歳位)に対し「母さん、美人だな」と言える人でした。私もそう思いました。
 自分は出るのが嫌だったのかと言うと、そんなことは無いんです。合唱の演奏会などで、ソロや笑いをとるための演出を頼んだりすると、何の抵抗もなく引き受けて、いつもと変わらない穏やかな様子でこなしていました。不思議なことですが、いっちゃんの中に、あがるという要素は無かったのではないかと思います。
 今日は羽生君はフリーで、羽生さんは藤井君と対局ですね。
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# by nyankai | 2018-02-17 10:01 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

 昨日は雪の中ヨガに出かけたら、初め私1人。先生に申し訳ないと恐縮していたら、かろうじてもう1人来てくれて、贅沢なヨガになりました。
 この間、冬のオリンピックの競技は何一つできないと書きましたが、夏に比べて命に関わる競技が多いです。あんなおっかないことをやる人達の気持ち、もちろん私にわかり様は無いのですが、ただただ皆さんが安全でありますようにと祈っています。新しい競技も楽しいですが、アルペンスキーやクロスカントリーなど、古くからある競技を見ると、なぜかd0017084_10153458.jpgホッとします。
 いっちゃんの命日、私はファーチレで出かけてしまったのですが、来客はたぶんいなかったと思います。前日ドーナツをお供えしてくれた人がいて、当日のブログF679.gifにコメントは1件(元々コメントは少ないブログですけどね)、息子がFacebookに長文を書いてくれたのと、直接言ってもらえたお悔やみ1つ。後になって、メールが1通、電話しようと思ったけれど疲れているかなぁと思って控えたと言ってもらえたのと、お香&お香立てをいただいたのと、コメントがもう1件。
 いえいえ、文句を言っていると思われては大変心外だし、上手く表現できないのですが、10年もたったら、共感して寄り添ってくれていることを、表に出してほしいなどと期待する方がおかしいのであって、十分にお気持ちいただきましたと感謝しています。ただ、人は(少なくとも私は)しょうもないもので、悲しい時はちょっとでも良いから一緒に悲しんでいることを、10年経っても伝えてほしい、かまってほしい、弱いものなんだなぁと思ったのです。
 Q.いっちゃんは無口だったのかおしゃべりだったのかF65B.gif
 A.いっちゃんは、家族の中では普通にしゃべる人でしたが、たぶん職場や他の集まりの中では、どちらかと言うと無口であると思われていたのではないでしょうか。大学に入って、最初にいっちゃんを見た印象は、練習室の付き当たりのたまり場の真ん中で、(理科の副免を取っていたから)白衣着て、ギャンギャンしゃべっている人達の中にあって、ただほほ笑んでいた人、です。小学校の担任だったと言う人に会ったことがありますが、おとなしい子だったそうです。
 もちろん教師ですから、子どもたちの前では、おっかない先生として多弁だっただろうし、学芸会などはいっちゃんのクラスの劇は面白いと評判になる位、熱血指導をしたはずです。家で衣装や小道具を作る手伝いをするのは、私の幸せな時間でした。
 全然出たがりではないのに、どうしても自分が役職を引き受けなければならないと判断した時は、覚悟は座っていました。町の連合の会長をして、新聞屋さんをしていた町議さんが集金に来て、メーデーのあいさつがすばらしかったと言ってくれました。そんな人でした。
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# by nyankai | 2018-02-16 10:12 | 心もよう | Trackback | Comments(0)

 小平さん、高木さん、平野君、渡部さん、メダルおめでとうございますF647.gif どれもこれも、息を飲む試合で・・・本当はパーキンソンクリニックに行ったので、d0017084_9222233.pngリアルタイムで見られていなかったのですが。
 昨日もまず先に、rakuらくマッサージ90分からスタート。「ガンガンいっちゃってください」とお願いして、左肩腕をメインに、気持ち良かったぁ。月10万円までなら払うので(しか払えないのですが)、専属マッサージを雇いたいです。
 昨日の診察結果は、ジュンちゃん先生の見立てでは、最初に行った時の筋肉の硬さが25で、昨日は9でした。間違いなく柔らかくなっているのですが、だるさやこわさ(北海道弁)がとれないのは、自覚症状に変化が現れるのには、もう少しかかると思われるからで、このまま続けましょう。と又、言いくるめられました。
 エフピーで寝られなくなったことを訴えたら、たまにそういう人がいる、デパスを飲んで良いですよF3A8.gifと、お許しが出ました。ドーパミン出すために、何かを一生懸命やらなきゃならないと思うとかえって負担だと言うと、それは本末転倒、がんばらなくて良いんですよと言ってくれました。ジュンちゃん先生に会うと、良い意味で力が抜けます。
d0017084_9231268.jpg 色んな患者が、色んなことをめいめいに訴える。患者も医者に勉強させてやっているのではないかと思いました。
 病院の後、歌友布友T浜さんに会い、早めの夕ご飯を食べて、ペガサス号でニャンコ座町に戻ると、又しても車に雪が積もっていました。
 Q.いっちゃんは、息子が色々なことに興味を持つよう誘導したのかF65B.gif
 A.息子のブログによると、いっちゃんは学校の図書やパソコンゲームの購入の担当だった際、子どもたちが色々なことに興味を持つようなヒントを与えられるよう、工夫していたと感じているようです。この点に関しては、私は分かり様は無いですが、息子はそれで教養が高まったと書いていますから。
 父はもの知りでした。父の話を聴くのが大好きで、気が付いたら、そういう点では同じような、雑学王のいっちゃんと結婚していました。新聞や情報番組はくまなくチェックし、雑誌も含めてとにかく本をよく読んでいました。どこに行っても、パンフ等をごっそり持って来てしまい、いつ、何を聞いても、必要な資料がすぐに出てきました。ただし、いっちゃん本人にしか分からないまとめ方だったので、膨大な資料は、残念ながら私に活用する能力はありません。
 もしも今も元気でいたら、調べ上げたことを、たくさんのCDなんかに保存して、私は訳がわからないで、困っているでしょう。
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# by nyankai | 2018-02-15 09:20 | Trackback | Comments(4)

 昨日はあまりにiPS細胞そのものについて書いてしまって、今日は「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」が、どんな本なのかを書くスペースが無くなってしまいました。d0017084_9101760.jpgちょっとだけ補足を。
 どんな偉大な人にも悩み、失敗を重ねた挫折の時があった。彼らの背中を押して、チャレンジさせたものは何だったのか、という本です。挑戦する勇気をもとうとか、先入観が崩れる時新しい世界を発見できるとか、さすがの今の私には直接は眩しすぎますが、若い人たちには、こういった講演や対談に接してほしい、そして憧れを抱いてやりたいことを見つけてほしいと、心から思います。
 21歳の沙羅ちゃんと、20歳の原君の雰囲気が、一見同年代とは思えないのですが、どっちも良いのだし、チャレンジしてきたことにおいては、同じなんだなと思います。いささか強引なつなぎ方なのですが、発掘された赤ペンファイルを懐かしく見ながら、今日も息子の疑問に答えてみたいです。
 d0017084_9111632.jpgQ.どうしてあんなにこわかったんだろうF65B.gif
 A.幼稚園の先生に「お父さんはこわい」と訴えていた位だから、余程怖い父親だったのでしょう。怒られ慣れたおかげで、その後の人生に怖い存在がほとんどいなくなり、良かったのか悪かったのかわからなくなってしまいました。確かに私も、そこまで怒らなくても良いのにと、感じたことは多々ありました。でも次の瞬間には、完璧に切り変えていましたから、大したものです。運転中も良く怒りましたが、それだけのことで、言葉に出した直後からは、ニコニコ楽しそうでした。完全にコントロールされた怒りだったのでしょう。
 社会に対しても良く怒っていました。政治に対してはもちろん、息子が書いていなかったことの一つが、相撲です。今回の相撲の騒ぎに、私がいま一つ考えを持てなかったのは、いっちゃんは若貴が優遇されていると、怒っていたからです。いっちゃんは反権力で、公正な世界への想いが、人一倍強かったのでしょう。
 いっちゃんの怒りが、私に向いたことは、1度もありません。それは仕返しが怖いからだと、言っていましたけどF485.gif
 今日これから病院です。朝から疲労感が良く出ています。ドーパミンを出すために、ワクワクすることをしましょうと言われても、ちょっと今の私には、それが強迫観念になっています。具合悪くて苦痛です。重荷です。
 今日の気づき・・・遅いってば。羽生善治さん、同じ羽生と書いて、フィギュアは「はにゅう」ですね。
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# by nyankai | 2018-02-14 09:08 | 心もよう | Trackback | Comments(0)

 原君、美帆さん、沙羅ちゃん、メダルおめでとうございますF647.gif。夏のオリンピック種目は、タイムも距離も関係無しだと、走ることと泳ぐことはできますが、冬の種目はできるものがありません。子供の頃スピードスケートにのった位です。
 「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」というタイトルで、京都産業大学での永田和宏さんが企画した講演・対談シリーズ「マイ・チャレンジ 一歩踏み出せば、何かが始まる!」を本にしたものですd0017084_948068.jpg。山中伸弥さん・羽生善治さん・是枝裕和さん・山極壽一さん(日本の霊長類研究の第一人者)が登場します。すべての方の感想をかけたら良いのですが、ここは今私の切羽詰まった問題に触れる、山中先生の部に絞ります。
 山中さんの家は町工場だったそうで、お父様は作業中の事故がもとで、急にではありませんが、亡くなったそうです。そのお父様の助言で医学部に入り、ご自身もラグビーをやっていてスポーツ医学に興味を持ち、整形外科医になりました。でも手術が下手で(本当です)、臨床医ではなく研究者を目指したのだそうです。
 渡米して研究して、ES細胞に出会った時、ご自分の研究が人の役に立つと考えました。その中に、パーキンソン病が入っています。でもES細胞は、ヒトの受精卵から作るので、政治と宗教のトップに反対され、その課題を克服しようとして出来たのが、iPS細胞なんですって。iが小文字なのは、2006年当時流行っていたiPodを真似たそうです。
 アミロイドーシスでだめになってしまったいっちゃんの腎臓と心臓を、山中さんに作り直してもらいたいと思いました。間にあわなかったけれど、今は私の神経細胞を修復してもらいたいと、切に願っています。
d0017084_9494740.jpg 息子がいっちゃんの命日に書いた文章がとても良いと思ったので、私にできる範囲で答えたいと思いました。息子よ、読めよ。題して「いっちゃんのなぞ解きコーナー」
 Q.子供や子育てというものをどう考えていたのだろうF65B.gif
 A.本音がどっちだったのかは、私にもわかりません。私が、自分の子どもってどういうものだろうかとても興味があると言ったら、喜んで大賛成してくれました。息子は叱られてばかりだったと思っているようですが、それはそれはかわいがっていました。私が仕事をやめたので、おむつ換えとか離乳食作りとかはほとんどしませんでしたが、いつもお腹に乗っけて寝ていたし、話しかけていたし、歌も歌っていたし。
 いっちゃんには5歳下の妹がいますが、働いていたお母さんに代わって、良く面倒を見ていたそうで、義妹はいっちゃんはとても優しいお兄ちゃんだったと、今も変わらず慕っています。又、小学校の先生としても、「ゲボとおしっことウンチが怖くて、小学校の先生なんかやれるもんか」と、低学年を積極的に受け持っていたし、A子さんの子どもがちっちゃかった頃も、3人まとめてかわいがっていたので、子どもは大好きだったはずです。だから、笑美ちゃんは離れていても、毎日目の中に入れて歩いていると思います。
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# by nyankai | 2018-02-13 09:46 | おはなし | Trackback | Comments(0)

 昨日の朝、札幌に出かけるときは、いっちゃん最後の日、前夜に病院から呼び出しがあって、病室に泊まったんだっけ等と思いながら家を後にしました。医者ってやっぱり、もうわずかだってわかるんだなぁ。
 紺バッハを、みっちりやりました。何だかんだ言いながら、メンバーが微増している所が、ファーチレの強さです。まだまだ楽譜にかじりついて必死で歌うのが精いっぱいなのだけれど、d0017084_946515.jpg教会、十字架、マリア像、ステンドグラス、できる限りの妄想をフル稼働してみる。この間アル子ちゃんに見せてもらった、「サウンド・オブ・ミュージック」のDVDの冒頭部分の映像等も総動員です。
 もちろん合唱だけに限ったことではありませんが、指導者から「(音が)下がらないこと」「狂わないこと」と注意され、誰かれとなく「間違わないこと」が追加され、とどめは「めげないこと」でした。頭の中で急に、「それが一番大事」(大事MANブラザーズバンド)が鳴り始めました。息子が小学校で歌ったわ。家でも良く歌っていました。本物は「負けないこと 投げ出さないこと 逃げ出さないこと 信じ抜くこと」です。今の私に、この歌をまっすぐに歌う元気や強さは無いけれど、懐かしく思いだす位はできます。良いんです、それで。
 「スタバ」の8番のソロの件が、ほらほら白羽の毒矢のあれ、再び飛んできました。こんなに具合が悪いのだから、本当ならば引き受けるのは無責任なのですが、そんな思いとは逆に「やらせていただきます」と、口が勝手に動いてしまいました。良いのか、私。
 練習は充実していましたが、左腕はけっこう辛かったです。駅までの地下鉄の中で、歌友が「今日命日だね」と言ってくれました。誰かがd0017084_9465632.jpg何がしかの想いを持っていてくれたかもしれないけれど、やっぱり口に出してもらえたのは、嬉しかったです。ありがとう。
 札幌駅まで戻った頃には、左脚もボロボロな感じでした。でも少し時間があったので、本屋に入ってみると、文藝春秋が山と積まれていました。「おらおらでひとりいぐも」が入っています。すぐ側には単行本もありましたが、こちらの方が安くて、他にも読み物がたくさん収録されているので、お買い上げ。さあ読むぞ。
 昨日の夜、バスが着いたら、シエンタちゃんのフロントガラスは凍りついてガシガシでした。いっちゃんの命がついえた時間、私は氷と闘っていたのでした。その間は、だるさを忘れながら。
 息子がいっちゃんのことをこんな風に書いていました→ここ(3,566文字も書いている、さすが息子だ)。良く見ていたなぁと思います。そして、息子が知りたがっていることを、私はいくらか知っているかもしれないとも思いました。伝える力が、私にはあるだろうか。私も多いに知りたい。いっちゃんは、今の息子を何と言うだろうか。笑美ちゃんにどれだけメロメロになるだろうか。そして、パーキンソンの私を、どんな風に包んでくれるだろうか。
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# by nyankai | 2018-02-12 09:40 | 夫いっちゃん | Trackback | Comments(0)

 ダリが吐きました。毛球コントロールをしてやっているのにおかしいなと心配して、吐いた水分を見ると、思い当たるものが混ざっていました。イチゴF6AD.gifのヘタ。アル子ちゃんが歌会に持って来てくれて、みんなで食べたのでした。もう、ダリったらぁ。ケロッと元気になりました。やはり思った通り、歌会の間はあまり苦痛を感じることもなく、d0017084_855276.jpg楽しく練習や打ち合わせができました。起きている時間はすべて、少なくとも誰かと一緒にいて、意味のあることをしていないと、ということになっちゃう。できるわけないよね。
 いっちゃんが死んでから、10年が経ちます。ブログを書き始めたのが2005年の4月なので、いっちゃんに健康上の問題が無い(本当は発病していた)2/11の記事は、2006年だけです。「トリノオリンピック開幕」と、「マタイ受難曲」の練習に行ったことがd0017084_856407.jpg書いてありました→ここ いっちゃんは、キタラでのマタイの本番のステージには立てませんでした。幹細胞移植を乗り越えて退院したてでしたが、私にはコンサートに出るように背中を押してくれて、ソプⅡの私が良く見えるように、上手の最前列に座って、聴いてくれていました。翌年、2008年2月11日の夜、いっちゃんは帰らぬ人になりました。
 10年経ったなんて、不思議な気分です。私、52歳だったんだ、若かったわ。かわいそうに、私。良く10年も一人で生きてこられたものだと思います。もう十分だって気もします。パーキンソン抱えてこれからも生きて行かなきゃならないなんて、考えただけでも疲れます。
 写真を何枚か見つけました。いっちゃんは写真を撮るのが好きですが、自分はあまりうつりたがらなかったので、2人でうつっている写真はごく少ないです。
 そんな私はまだ、ファーチレで歌っています。今日はこれから練習に行ってきます。2009年の2月11日は、私たちが出会った大学のコンサートで「ふるさとの四季」を歌いました。私の2月11日は、歌う日として定着すると良いなぁ。
 スキーアスロンって、知りませんでした。不思議な競技です。途中でクラシカルからフリーへと、スキーを取り替えるの。
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# by nyankai | 2018-02-11 08:51 | 夫いっちゃん | Trackback | Comments(2)

 もうすぐパーキンソンの病院ですが、薬の効きはどうかと聞かれて、何と答えようか困っています。確かに肩凝りは楽になって、心もち左脚が柔らかくなった気はするのですが、やっぱり具合は良くないです。薬の効きに、手を打てる感じではないです。
 オリンピック、始まりましたね。平昌ってずい分寒い所だとびっくりしました。だって去年4月にソウルに行った時はd0017084_949794.jpg、桜も咲いていたので、韓国全般が北海道よりも暖かいような錯覚をしてしまっていました。「冬ソナ」の地なのだからね。それにしても、あれだけ寒いのに、雪がほとんど無い。日本みたいに雪が降る国って、珍しいのですかね。
 先週何となく見ていたテレビで、9人のおばあちゃん(と書いて良いよね)が暮らす、グループリビングが紹介されていました。居住者がお茶を飲みながらおしゃべりできるリビングや食堂があり、その 周りを囲うように個人の部屋がある作りでした。居室にはキッチンとトイレがあって、3時の運動と業者が作る夕食をみんなで食べること以外は、基本は自由に自立して暮らすようになっています。ある方は、小鳥や魚を飼っていました。自力で病院に通ったり、お買い物に行ったりもします。共有部分のルールは、自分たちで決めていました。
 住んでいるのは、70代から90代の方たちで、そのしっかりした受け答えぶりはすばらしいものでした。この方たちは、完璧な自由よりも、安心を選んだのです。だから他人と暮らせる賢い方達です。費用は、それこそ年金で何とかなる位かなぁ。これからの生活のキーワードは、「お金」「健康」「孤独」、間違いないです。良いものを教えてもらったと思っていますが、これだって、d0017084_9494352.jpgまずは大きな病気が無いことが大前提だものね。このままでは、私には無理か。
 昨夜の平昌は、やや暖かかったようで、良かったですね。開会式って、いつから夜になったんだっけ。そりゃ夜の方が、光を使った演出ができるので、きれいで感動的です。でもスポーツの祭典なのにさ、宵っ張りの私が言うのも変なんだけど、なんで夜の8時からなんだろう。もしも、昼間に夜と同じ効果が出せるようになったら、すごいだろうなぁ。   
 良く考えてみたら・・・考えてみなくてもですが、私が卒業した中学校から、2人のオリンピック選手が出ています。すばらしいですね、嬉しいです。
 明日はいっちゃんの10回目の命日で、ただ今準備中。
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# by nyankai | 2018-02-10 09:47 | 社会 | Trackback | Comments(4)

 笑美ちゃんが立ちました。お待たせしましたね。d0017084_972969.jpgおめでとうF3A7.gif
 先週のことですが、公立学校共済組合から、私の年金証書が2通届きました。退職共済年金と老齢厚生年金です。これは、去年の11月に手続きをするように言われた、私がたった7年働いた分の年金です。今は加給年金がついた遺族年金をもらっているので、これは受けとらない方が良いことを確認して、支給額が高い方を選択する年金支給選択申出書を提出した上で手続きをしたので、65歳まで何も言ってこないだろうと認識していたし、決定金額は当然加給年金より大幅に安いので、少々あせりました。
 共済組合の年金相談ダイヤルが混雑でなかなか繋がらずイライラしましたが、ようやく繋がって、何とか意味がわかりました。
 要するに、年金決定はあくまでも、今のうちにするのだそうです。電話の向こうの担当者は、支給額は0円になっていて、事由欄に「併給調整」と書いているでしょうと言いました。ほんとだ。高い方を選択した結果そうなるのであって、何も心配いらないとのこと。65歳になる時には、又ちゃんと案内しますとのこと。自分の無知を詫び(詫びることもないとは思うけど)、忙しいのにていねいに答えてくれたお礼を言って、電話を切りました。
 d0017084_98527.jpgでもさ、併給調整なんて言葉、生まれて初めて聞きました。調べてみると、こうでした。複数の年金が受けられる場合は、いずれか1つの年金を選択しなければならず、これを併給調整といいます。 ただし、老齢基礎年金と老齢厚生年金というように、同じ種類の基礎年金と報酬比例の年金は一緒に受けられ、遺族年金と老齢基礎年金の組み合わせも例外が認められています。まだ頭は整理されていません。貧乏なくせに、我ながらお金に執着ないな。
 昨日は、久々に足つぼマッサージを受けました。もっと前に予約していたのですが、足つぼさんが、天気が悪くて延期したら、子どもさんがインフルエンザにかかってしまって、再延期になっていたのです。ポカポカの午後の陽ざしの中で、たっぷりとやってもらえました。会うこともない3人の息子さんに、小さなバレンタインチョコを贈りました。贈り物って、つくづく贈る方の幸せなんだなぁと思いました。
 東京の公立小学校の標準服がアルマーニで、騒ぎになっていますね。北海道もんは、そもそも小学生はジャージ着ているものと思っています。私なら、ぜひがんばって、とっても良く似た服を作ります・・・って、観点が違いますが。
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# by nyankai | 2018-02-09 09:06 | 社会 | Trackback | Comments(0)